クリムト展で
今日も良い天気で暑いくらいだった。
エネルギー使う現場が続き、個別に相談も受けてを繰り返し何とかやって来た後で、でも制作の場はしっかり食いしばった結果、輝くような時間を経た。
作品たちも目が眩むようだった。
場も人も作品も、これが答えだと、この世界へ誇れるもの。何処へ出しても恥ずかしくないもの。
そんな訳で熱に浮かされた後の虚脱感。
外を歩いてもフワフワしていた。
毎日ジーパンなので4枚あるのが、ここへ来て3枚破れた。部屋の片づけ、荷物の整理中。いらなくなった本とCDをリュックに入れて売りに行く。その足でジーパン2枚を修理にだして、少し歩いても、まだ眠気がある、と言うかぼーっとしている。
でも良い夢を見た後のようで心地良い。
みんな何とか良い方向には行ってるし、素晴らしい時間も過ごせているし、僕も良い仕事が出来ている。
場での時間が頭を過ぎって行く度、幸せを感じる。
確かにあの場所にいたのだな、とやっぱり夢のようでもある。
他の作品と少し違って、こう言う状態でクリムトは見やすかった。世紀末の世界で退廃と、夢の中でぼんやり漂っていた。クリムトに見えていたのもこんな世界なのかも、とも思う。行ったこともないウィーンを想う。マーラーの甘く切ない音色。この世への執着と滅びの自覚。クリムトの作品も空を飛ぶようなテーマが多かった。
会場を後に歩くと、佐久間さん、と呼びかける声。
あの「楽園としての芸術」展でお世話になり、共に創造し、共に戦った中原さん。
荒野で仲間と出会ったような嬉しさ。ほっとする。
この仕事でこれまで沢山の方と出会ってきたけど、中原さんは特別な存在だ。希有な人だ。もちろん大人としてしっかりした方だし責任感の強い方なのだけど、あんなにピュアな方は珍しい。美に対する素直さ、嘘のなさ、真っ直ぐさが僕は好きだ。
少し立ち話した。内容は書かないでおきましょう。差し障りあるかも知れないですから。
でも元気が出た。困難の中でぶれずに出来るのは真の理解者あってのこと。本当に有り難い限りだ。僕たちのアトリエで生まれている作品の価値は他に無いものだ、知っている人達がいる。
いい加減なものは残らない、と何度も言って来た。信じなかった人もその通りの現実として結果を見てしまった人達もいる。これからもそれは続くだろう。
作品は作家達の心。魂そのもの。情報でも娯楽でも無い。本物は人に響く。そしていつかは正しく知って貰える日が来る。大切なことはなんなのか、何をしなければならないのか、そこからぶれずに、一緒に居る人達が幸せであれる場所を今後も守って行きたいです。
「クリムト展 ウィーンと日本1900」
明日、4月23日より東京都美術館で。皆さまもぜひ。