技が消える日
人間にしか出来ないことの1つに、芸とか、技と言うものがある。
芸、技と言うものの素晴らしさや、その力を小さな頃からずっと見てきたし、そんな世界に憧れを懐いてきた。
過酷な環境からスタートした僕にとっては、時にそれは唯一の救いとなった。
長ずるに及んで、自分自身も一つの道を見つけ、芸や技と呼ばれるものを磨いてきた。
その為の錬磨こそが、誰かの役にたつために自分が出来る全てだったから、命を懸けて取り組んできた。
その間も、様々な芸や技に触れ、感動し、勇気づけられてきた。
しかし、そんな芸や技と言うものが、日に日に消えて行く世界を見て行く辛さ、寂しさ、悔しさも味わわなければならなかった。
芸も技も、必要があって初めて生まれてくるもの。便利さの生み出すまがい物が蔓延り、本物の芸や技に取って代わった。
本物の芸、本物の技を見ても、分かる人が居なくなってしまった。
そして、芸や技と言うものは徹底的にアナログで手間と時間をつぎ込むことなくしては、近づくことの出来ないものだった。
量産出来るまがい物とはそこが大きく違う。
本物の芸や技が大切にされない時代とは、生命の息吹が粗末に扱われる時代と言える。
コロナ以後の世界について書いたが、ますます加速されて行く流れの1つに、本物の芸や技が消えて行くことがある。
全てが簡略化されていく中で、手軽な方ばかりを選択して行けば、この命さえ手軽な何かに見えてきてしまうのに。
残念ながら一度消えてしまえば、取り返すことはほぼ不可能な芸も技も沢山ある。
高いレベルのものであればあるだけ、ミリ単位、よく冗談めかして使っているけど、ナノレベル、。そんな芸や技は、要求される環境を維持することだって容易ではない。
価値が分かる人達がいなければ到底守ることは出来ない。
凄いものがあったし、凄い技、凄い芸があった。かつては。今後も消えて行く一方だろう。寂しくなる。つまらなくなる。
僕自身も、16の頃から全てを捧げてきた道
で、磨き、研いて来た芸、技と言うものを、使うことや維持することは不可能となったな、と感じている。何年も前に現役としては引いていて、別のポジションから出来ることをやって来たので、納得は出来てはいるけれど。制作の場に立てる限りは、何かは出来ると思っている。
この世界から沢山の芸や技が、これからますます消えて行くことは、あまりにも残念だし、これからの人類にとって、それは致命的でもある。
何とか、この世に本物があることを伝えて行きたい。少なくとも、アトリエ・エレマン・プレザンで制作されてきた、ダウン症を持つ人達の作品は本物だと言い切れる。これはこれからも何としても、伝えて行きたい。
山彦さんの鰹節を何度も取り上げて、紹介するのもここにかかっている。本物の鰹節と言うものがあること、本物の凄さは他とは比べものにならないこと。
ここしばらく、この機会にとご紹介したけれど、数はそれほど多くは無いが、僕なんかの言葉を信頼してくれる方々が、山彦さんの鰹節に興味を示してくれた。
嬉しいかぎり。ぜひお試し下さい。
出汁を取ると言うことが、今の時代ではややハードルが高いのかも知れない。でも山彦さんの厚削りでやってみると簡単に出来る。
これを使うなら他の出汁を入れる必要はない。袋から出してお湯に入れて、グツグツやればそれだけでしっかり美味しくなる。
味噌もそうだけど、インスタントなんかよりよほど簡単にしかも本物が出来ると言うものがあることを知ると、昔の人達の工夫は凄いな、と思う。
厚削りは気まぐれ商店のサイトからご注文頂けます。
https://kimagure.buyshop.jp/items/982068
この前、燻製にハマっています、と言う人に話したけど、鰹節こそ究極の燻製。
本枯れ節を削ってご飯にかけたら最高。
こんな時代でも、手を掛け、時間をかけ、想いのある本物の味に触れられる幸せ。
皆さんもぜひ。