母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

失言について

今後のこと、それから諸々、急ぎで書くべきことや、連絡等もあるのだけど、今日はひとまず。東京アトリエは1、2週の土日はスタッフに任せて、僕は3、4週目の土日に制作の場に入ります。

 

さて、「失言について」と言うテーマだけど、これは身近なところから、多様性や共存や、そのためのスキルと言える寛容性について、これはやはり語りで取り上げてみたいな、と思った訳です。

 

僕が現場で実際に見て、取り組んで来たことから、人間を、人間の心と幸福をどう考えて行くべきか、様々な機会で語ってきた。

僕の経験してきた場とそこで出会った人達は、今となってはかなりハードで濃い、世界であったこともあり、極限状態でこそ見えてくる人の本質を取り上げてきた。

困難や病いと言うレベルで言ってもかなり重い例から見てきて、対応してきた。

こう言った経験は今後も勿論語って行くけれど、今、もしかしたらそれ以上にテーマとなっているのは、障害や病いで言うなら軽度であり、それは何か、何故かと言えば、今、この社会で、日常の中で誰もが経験していることの中で、捉え方や認識を変えて行かなければ、もはやこの世界に対処して行けない、と言う事実だ。

 

心の病気であっても、あるいは障害と呼ばれるものであっても軽度のものは、今の社会のあちこちで生活の中に入り込んでいて、それを何となくで扱われているけれど、それがそのままでは、多くの問題や、生きづらさを、当人にも他の人にも、生み出す一方だと言える。個人の好き嫌いや、躾や、何となく、上手く行ったり行かなかったり、で片づけることが、時に様々な問題を先送りしたり、無かったことにしてしまう結果になってしまう。

 

障害と言う例であえて言えば、アスペルガーADHD等の軽度の領域は、埋もれてしまっているケースが多いし、気づかれない精神疾患の多くも個人の人格の問題で終わりにされている。

 

この社会での日常のあちこちに、個人がどう扱って良いのか、どう接して良いのか、分からない状況や人が居て、多くの人達が生きづらさを感じても、それは個人の問題だと思ってしまっている。社会はますます真ん中の枠を狭めて、そこに居られる人はどんどん少なくなり、そして真ん中にいる人達ですら、何となく生きづらさを感じている。

 

心や認識には無数の型や形が存在する。

見えていようと、見えていなくとも。

 

許せないとか、あるいは正しい、間違っている、と言う基準も、当然、この多様な型や形を見ないことにしなければ成立しない。

 

失言について、と言うのはあくまで分かりやすい一つの例だけど、良く皆さんが怒りを感じる人や出来事の中で、正義感からこれは許せないと感じるような発言がある。そう言う発言をする人達がとことん叩かれているのを良く見るけれど、少し冷静に考えてみて欲しい。何故そのような発言をする人達が、ある一定の人数居るのか。或いはある時間の中でそのような失言が繰り返されるのか。勿論、人格の問題や、人への差別や偏見や、認識の甘さや、人が怒りを感じて当然なことはある。それでも、例え自分はそう思わなくとも、多くの人は言わゆる空気を読み、当たり障りのない言葉を選び、時にはきれい事を言うけど、決して失言はしない。それは殆どの人がそうだ。

それなのについ、失言を繰り返す人が何故居るのか。

 

それは人への配慮や、緊張感や、注意力の持続や認識の仕方が、それぞれ異なり、違う型や形を持つ人達が居ると言うことを示している。良いか悪いか、と言う以前にまず、このように、多様な型や形が存在している、と言う認識を持つ必要がある。これからはますます、そう言う認識を持たなければならない時代になって行く。

 

これもトークの中で取り上げて行くのでここではこの位にしておきますが、日常の中に微細な違いや、異なる世界が存在していて、そのことに気がつくことで、もっと生きやすく、そして豊かになります。細やかな気づきが人を変化させます。このことは小さなことに見えて、今の世界の日常の中で、認識のほんの少しの変化によって、生きている世界を豊かにし、思ってもいないような優しさと楽しさに繋がる可能性があります。

 

特にこれから先の世界においては、認識を変えることが幸せへの近道となることでしょう。

 

ただ責めるべき、責められるべき、それ以外に何の要素もないかのような、失言について、も見方が変われば全く違う何かかも知れない、そんなところを入口に、無数の認識への扉を語ってみたいと思います。人間の心や認識の世界は奥深いです。

ここから先はまた改めてトークライブで。

人間の心の中に、様々な問題の原因があると同時に、無限の可能性があります。その奥深い世界へこれからもご案内出来たらと思います。予告していた「×ない(掛けない)福祉論」もそろそろ語らねば、と思います。こんな状況の中ですが、何とかトーク企画を進めて行きますので、よろしくお願いします。


f:id:skmskm77:20200704233327j:image