母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

忘れられた名プレー

猛暑!暑いですね。こう言う季節に思い出すことがあります。
今日のタイトル、本当は「知られざる名プレー」の方が現実に近いですが、誰も知らないですので、しかしです、僕らにとって忘れてはならない場面と言うことで。

ここ最近も相談等の問い合わせも多く、中には無茶な要求や非常識なものもある。仕方の無いことだけど。こんな時代に直面して、普通に働いて生活していた人達も悲鳴をあげている。良い仕事が滅びつつある。僕らも大変ではあるけど、もっともっと追い詰められている人達も多い。身近な人達には、ちゃんとやってきた証だよ、と話す。だってこれでビクともしません、なんていかがわしいし、今までの悪事とズルさの蓄積かも。

僕もこれまで随分沢山の人達と付き合って来たし、見てきたから、残念な人達を知っている。もっと大きく何かやれたはずなのに、小さな成功や僅かなお金に飛び付いて、社会的には何とかなったのかも知れないけれど、本来向かうべき線からは大幅に逸れてしまった人たちがいる。人生、飛び抜けたものだったら違うだろうけど、なまじっか人よりちょっとだけ何か出来たり才能あったり、それがかえって災いすることだってある。その程度のことで何とかなるわけではないから。勝ちや成功にばかり拘ると、動きは小さなものになる。でも本当の勝利はどこにあるのだろう。本当の成功って何だろう。
幸せになった人が勝ち、笑った人が成功者。それだけ。
何も抽象的な話じゃなくて、スタート地点から苦難の連続で、その後も極限状況にある人達や、生死を分ける場面を何度も見てきた僕の答えだ。人生は舞台そのものだし、僕らはプレイヤーとしてこの場に立っている。笑うこと、笑わせることこそ答え。

小学校の頃、僕らが夢中になっていたのは、さんざん追い詰められた状況でも、人を笑わせることだった。自分がおかれている状況が不利で不遇であればあるほど、ギャップとして笑顔は輝かしいものとなる。遊べなかったり、食べる物がなかったり、石を投げられたり、殴られたり、どんな場面でも、笑わせることで、その場に輝きが宿った。一発大逆転。辛い状況にいる人も、しんどい中にいる人も、気がついたら笑ってしまう。そんな瞬間が創れた時ほど楽しく気持ち良かったことはない。何も持っていないどころか、最底辺で差別や偏見の眼差しに曝されていたあの頃のみんな。僕らは難しい場面をどんどん楽しむようになった。熊本から来たKと言う天才もいた。水木、柏野、勝田、、名場面を生み出す奴ら、一発逆転が出来る奴らがいた。こう言う場面ではこう言う振る舞いをすればより面白く見える。僕らはプレーを磨くことを遊びにしていた。遊びの中で年寄りをヤクザから助けたことだってある。

笑わせるから先に、綺麗な景色を描く、とか美しく動く、とか絵の様な鮮やかな場面を創るとか、そこから先に僕の場の概念が生まれたことは確かだ。

ここには書けないけど、沢山の名プレーがある。思い出すのは我らが清水くんかな。やっぱり自分とは対極のキャラクターで、かつ名プレーの数々を見せてくれて。今どうしてるかは分からないけど、凄い奴だったと思う。背景にある歴史がここに書けない以上はこの話をしても仕方ないのだけど、それはまた母川回帰シリーズで話そう。
夏の短距離走だった。仲間内では清水はやってくれる、と、しかも不遇な仲間たちみんなを代弁して、ざまあみやがれ、を見せてくれる、との期待があった。僕らが見守る中、清水は予想通りのぶっちぎりの走りをみせた。勝った!圧勝!、やったな、と僕らは顔を見合わせたが、ゴールギリギリで、得意の茶目っ気を見せた清水は僕らへ向けてピースした。だら!(アホっ)と言う教師の声。僕らは笑った。終わった後、清水はしこたま叱られ、その後もこの場面は教師らによって学校で語り継がれた。最後まで力を抜くな、とか一生懸命の大切さを説くための悪い例として。ある教師はしっかりとタイムを出して来て、ピースさえなければ県の最速記録が出せたのに、と残念がっていた。おちゃらけて、記録や賞賛や評価を逃した男として清水は語られた。

しかし、これが彼が最初からやろうと決めていたことだと、僕らは知っている。名誉より記録より大事なことを彼は知っていた。生まれて来たからには、やらなければならない何かがあることを。名プレーだった。やられたらやり返す。倍返し、。僕らもいつもそう思って来たけれど、お返しは自分の為では無い。他の誰かや何かのために。清水はきっちりとけじめをつけた。立派だった。

あの頃、最底辺で生きていた仲間たちからの、もっと不遇な人生達へ向けた、一つの答えだった。僕らと同じ歳で自分の意思とは無関係に国と国との問題に巻き込まれて、命を落とした子供達がいた。
僕らはその現実を前に、誰一人、言葉を発しなかった。想いは同じ。それぞれが、何らかの形で答えようともがいていた。清水はそんな僕らの想いを乗せて走った。
単なる競技の上での勝利を目指した訳ではない。
ここでは書けない背景はトークで語るかも知れない。そう、もし母川回帰シリーズを初めていなければ、こんな風な視点で語ることも無かったかも知れない。

時は流れ、僕はその後、無数の場と出会うことになる。
幸せになること、人を幸せにすること。笑うこと、笑わせること。
この人生と言う舞台の上で。役割を貫こう。