母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

さらば東京、さらば金沢

ん、満月かな。間もなく11月ですね。東京アトリエも最後の月に入ります。良い場を、とそればかり想っています。プライベートでも別れや悲しいことが続きました。無くなった場所も居なくなった人も沢山。20年以上居た東京。大好きな場所だったことは間違いないです。今回、金沢に行けて良かったです。残っているものと、失われてしまったもの。金沢駅前にあった都ホテル、地下は独自の発展を遂げ、金沢にしかない夜の街を作っていた。ごっそりと消え去って今は駅前がクリーンになった。金沢のあの闇は何処へ行ってしまったのだろう。無くなってしまえば、嘗てそこにどんな文化があったのか、どんな人達が生きていたのか、全く分からなくなる。思い出す人も居なくなる。悲しいことだ。城下町で風情があって、沢山の伝統がある。それだけが金沢ではない。裏があって初めて表がある。夜の文化こそが金沢だった。片町、香林坊は嘗ては猥雑な遊び場だらけだった。祖母の家の前にあった映画館街も、怪しげな店は沢山あった。今は全部駐車場。よく通った銭湯は今年廃業。僕が生まれた聖霊病院は新しく綺麗になっていた。近江町市場ではもう威勢の良い声を聞くこともなくなり、観光客はここ数年で出来た店にばかり入って行く。そんな中で、伝統の店もひっそりと残っていた。僅かだけど。金沢のフルーツパーラーと言えば、むらはた。健在で嬉しい。千疋屋より高野より、ここが素晴らしい。喫茶店はもう無い。伝説のぼたんもオーレも芝生も。ローレンスだけが残っているみたいだけど。若者のたまり場だった、たこ焼き屋の島が、なんと名前は変わり、経営者も変わったけれど、復活していた。感動。行ってみたいな。新天地も変わったな。書けばきりが無い。一言で言えば、あの頃居たアウトロー達にはもう居場所は無いだろう。それにもうそんな人達も居なさそうだ。時代と共に消えて行く人達は、一体今、何処で何をしているのだろうか。あの時代を、あの人達を、あの場所を、もう1度見ておきたいと思った。進むことだけが正しい訳では無いと思った。信州時代のこともそうだけれど、もう無いものこそが、みんなが忘れてしまったものこそが、力を与えてくれる。目を開いて見ることや、身体で感じること、人間が人間である証。諦めてはならない。今の世の中の全てが悪いとは思わない。でもね、僕は一つの基準で生きている。いつでも問うてみる。それは人を幸せにするだろうか、と。人が笑顔になるだろうか、と。どん底と見られていた場所や人達が、あんなに綺麗だったのは何故だろう。こんなに発展したと思い込んでいる世界が、ここまで汚いのは何故だろう。今からでも取り戻すことが出来る。失われてしまったものは、戻っては来ないけれど、真に価値あるものは形を変えて生き続けることが出来る。僕らがそれを認識し、選択する賢さと勇気さえあるならば。


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