母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

東京を去る前に

引っ越し日が間近に迫ってきた。
東京での生活もこれで終わり。
アトリエ・エレマン・プレザンでの20年も終わった。これからは一般社団法人ダウンズタウンプロジェクトとして、新たなスタートをきる。とは言え、東京アトリエに全てをつぎこんで来たので、先立つものは何も無く、まずは家族が生活して行くために働かなければならない。次のプロジェクトに挑めるまでには少し時間が必要。佐久間さんのことだから、次のプランがとか言われるけれど、そんなものがあったら東京アトリエ存続のために使っている。

振り返ると10代を宮島慎一郎の共働学舎で、20代、30代をアトリエ・エレマン・プレザンで働いてきたことになる。一つの道をひたすら歩んで来た。いや、突っ走って来た。一言で言えば、それは関係性によって、心と心が響き合う時に、生まれるものに懸けてきた。たった一人の人間の心の奥を共に旅すること。場を見た人達の多くが言ってくれたように、僕にはこれは天職だった。佐久間が入れば変わる。何かが動く。絵で言うなら、描かなかった人が描いたり、他のことで言ったら話せなかった人が話したり、分かり易く言うならそんなことは無数にあった。単純に一人一人の表情が違ったり。何故だろう、と沢山の人が言ってくれた。僕には何故かは明白に見えている。タッチすべき場所が分かる。こう言うことをこう言う場所ではあまり多くを語るべきではない。言えることは、役割を与えられた数十年にどれほど感謝しても足りない、と言うこと。
この先、現実的に僕が現場に立てる可能性は低い。立てたとしてもそれほど多くはないだろう。また部分的なものとなるだろう。でも、それで良いと思っている。次に進む責任がある。ケジメとして、そんなことを色々と書かなければと思っていたけど、今はまだ時間も体力もないので、この辺りで。道なき道を進んできたので、いつかはそれがどんなものであったのか、次の人達のためにも伝える必要があると思っている。どんな形になるかは分からない。

関係性と言った。共感とも良く言ってきた。それを1つの技として、術として磨いてきた。そこから何が見えたか。全ては人間の可能性への挑戦だったと思う。今言えることは、間違ってなかったな、と言うこと。語り部として母川回帰シリーズのような取り組みも行ってきた。これからもやって行きたい。1つ言えることは、途轍もなく凄い世界が存在している、と言うこと。人はそれを見ることが出来る。人はそこへ行くことが出来る。無敵の世界と言うか、最強の世界と言うか。人がそのスイッチが入った時、どれだけ凄いか、いっぱい見てきたから。そして、それは何処の誰にでも可能性がある、と言うことが。世の中、人間を馬鹿にしているけれど、人間はもっともっと豊かな存在であることを、これからも証明していきたい。

 

2020年12月。東京アトリエ、唯一の未完の作品を眺めながら。(みりちゃん作)

 


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