母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

夜に駆ける

「終わった」。今は山積みの段ボール箱を前にしている。明日、午前中には子供達と一足先に出発。経堂の家を最後に見たかったけれど、これで良しとしよう。上手くコントロールしてきたはずが、ギリギリ最後にきて持病の鼻炎が酷くなって、今日はフラフラだった。東京での最後の数年はスタッフの稲垣くんと過ごした時間が1番長かった。仕事意外での友達は持たない僕にとって、ここ数年は例外で、共働学舎のイベントで出会った正太郎さん、そして、色んな縁が繋がっていた北山くん、恒例会のように良く話した。昨日は1日、正太郎さんにゴミを処理して貰った。この土地には大好きな人達がいる。今日もミヒロに来て貰って、子供達を連れ出して貰ったばかりか、美味しいお弁当を作ってきて貰った。スタッフ達はみんなもう僕より遙かにしっかりした大人だけど、悪い意味ではなくいつまでも可愛い。うん。これからどうなるのか、それは分からない。しっかりケジメはつけたから、何度も色んなことは言いたくないし。次はある。もちろん。でも、これは1つの終わり。最後の制作を終えたその日から、僕は以前の立場としてではなく、あくまで個人として発言している。現場に関しては、自分に良くやった、と言ってあげていい。あそこまで質を保ったのだから。沢山の可能性を示すことが出来たのだから。コロナのことは書かない。何言ってもバカバカしいから。悠太は沢山のものを見ていた。もう1ヶ月近くも前になるのか、ミヒロ姉ちゃんに連れてって貰った東京タワーで、舞果は「人は米粒だった」と言った。夢みたいね、もしかしたら本当にこれ夢かもよ、って言った。本当にそうだなぁ、と思う。悠太がよし子の携帯でアマゾンミュージックを良く聴くから、この一ヶ月で色々聴いた。車の中や作業中にも。あいみょんのなんやらとか、くれんげ?とか、香水だっけ?駆け巡るようなスピード感のある音楽ばかりで、今の世の中はますます走馬灯みたいになってきたのかなぁ。悠太達の生きている時間はもう僕らの子供時代とは違う。猛スピードで駆け抜けている。夜を駆ける?だっけ?これを1番聴いていた。東京最後のテーマソングのように今も僕の頭の中で鳴っている。そんなこんな。一応、これで終わりです。また続きが始まったら、よろしくお願いします。近づいたらまた書きます。どこで何をしていようと、皆さんが幸せでありますように。さらば東京。みんなありがとう。

 


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