母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

僕らの緊急事態宣言

2021年1月4日。
予想通りの流れと言うか、間もなく緊急事態宣言と言う方向へ。コロナとそれを取り巻く様々な意識、放置できないほど、多くの犠牲が生まれている。ずっと言ってきたように、コロナはコロナ自体より遙かに恐ろしい問題を突きつけた。医療現場だけが逼迫している訳では無い。それぞれの現場で最前線に立っている人達はみんな感じているはず。或いは各家庭でも。今何が起きて何が脅かされているのかを。1度目の時は政府の判断だったのなら、今この時は、僕ら自らが緊急事態宣言を出すべき時。この地球全体が大きくバランスを崩してしまっていて、それは人間の責任であることは明らかで、付け焼き刃の解決策では歯が立たない。個人の心を見ることを仕事としてきた自分にとっては、この危機にじっとしては居られない。じっとしてはいられないけれど、正直に言って何も出来ない。現場が身体に染み着いているから、身体は動き出そうとする。でも、動く宛ても無い。動かすべき対象にすら近づけない。接するな、は生命体を間違い無く破壊する。さあ、どうする。どうすることも出来ない。とにかく、言えることは言わなければ。冷静に。実はこれほど大切なことはない。恐れも、パニックも自体を悪化させることしか出来ない。不安やパニックがことをここまで深刻にしてしまったことも確か。その場凌ぎではいけない。しかし、その場凌ぎも今は必要。現場に立てない以上は僕にはどうすることも出来ない。でも現場で人の心を見てきた立場として、言わなければならない。責任として、このままではいけない。一人一人の心へ一人一人が意識を向けなければ。気づかないで壊れて来ている人も多い。今顕れていなくても、後遺症は後で残る。このつけきっと。心の問題は後回しにされがち。でも本当はそれが1番大きな問題でもある。既にかなりダメージを食らっている人達が沢山いることを、なるべくみんなで共有しなければ。そんな意味でも僕ら自らが緊急事態宣言をしなければ。そして、ここまでは現場での経験で言えることだけど、ここから先は違う。現場に立てないで、ここでどうしろと言うのか、これは僕も初めての経験。もしかしたら、一縷の望みはとてもシンプルなことかもしれない。接しられなければ現場は出来ない。人と会わなければ、その人に少しでも支えとなることは出来ない。そんな中で、僕は「みんながみんなを想う」と言う、これは最初は内面的なことで、心の中で始まることだけど、今はまずはそこからなのではないか、と考えている。想い合うことは必ず何らかの力を持って、次の事態を招くはず。みんなでみんなのことを想う。たった一人の人間の心を蔑ろにしないこと。ここから始まる。危機を自覚し、侮らず、冷静に。人の心に想いを注ぐ。どこで何をしている人にも届きますように。伝わりますように。これだけで終わる訳にはいきませんね。秘技を公開しましょう。迷信と思う人は思って下さい。でも、僕は何度も見てきました。こう言うことです。絶対に大丈夫、と思い切れる人は大丈夫です。行けると思える人が行けるのです。だから行ける。行けます。大丈夫です。どんな状況の中でも、そこに意識を持って行った人が変化を遂げました。皆さん、きっとまたお会いしましょうね。また書いていきます。