母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

幸せを引き出す現場

今回のタイトル「幸せを引き出す現場」。

ふとこの言葉が浮かんできた。

そうなんだよね。それに尽きるよね。それをやらなきゃね、って。

 

特にここ数年の周囲を見ていて、価値観とかコンセプトって大事なことなんだけど、そこにばかりエネルギー注いで、大事な元の部分が疎かになっているな、と感じてきた。

もちろん、僕自身もコンセプトは大事ってかなり早くから自覚した1人ではあると思っているけど、それは何より現場あってのことだから。

 

東京でやっていたころ、沢山の相談を受けてきた。様々な業界、色んな企画とか、団体とか、中にはかなり意識が高かったり、センスを持っている方もいた。

 

現状を変えて行きたいとか、新しくしたい、とか。今の課題とか。視察や研修もある時期には許可していたから、その影響で少なからず全体が良くなっている部分もあると感じている。今新しい流れでは色んな事が起きていて、色んなことを考える人も多い。

でもね、ここは原点に帰った方が良い。

斬新さとか、工夫合戦では虚し過ぎる。

何が大事かってこと。

人の心はメソッドでは動かない。

 

響き合える相手が居なくては、人の幸せなんてあり得ない。

 

僕自身もそこからスタートしたし、そこを片時も忘れたことはない。

 

信州共働学舎での日々も、東京アトリエでの実践も、27年の中で、ずっとずっと叩き込まれている。

最終的に大事なのは対面だし、対個人だし、1対1の現場だし、その場に居る人の幸せ。

それが全てなはず。

 

一昨日、強い腹痛に襲われた。

こんなことは本当に久しぶりで、僕の人生の中では殆ど無かったこと。

外面的な変化以上に内面的な急激な変化の季節に、やっぱり疲れてたな、と感じた。

 

東京アトリエの20年間、思えば激務だった。背負いすぎてもいた。正直なところ、すり減ってもいたし、かなり消耗もした。無数の来客と相談の連続でもあった。命を懸けた案件も少なくはなかった。

でも、必要としてくれた人達に尽くすことが出来て、何も後悔はない。

自分の命は、誰かや何かのために使うもの。

 

話は少し逸れたかな。

仕組みやアイディアやテクニックだけでは人は喜ばない。いつでも、そこに居る1人の心に直で響くかどうか、そこが大事。

 

だから、現場が全てと思う。

だけど、その現場と言うのが、何も斬新である必要はないし、そう言う頭でこねくり回した何かに、やっぱり多くの人は薄々疑問を感じ初めているな、って、お会いする方々の話を聞いていて感じていた。

現場ってそんなものじゃないよね。

 

その人だよね。その人がどうか、って。

良い笑顔がどれくらいあるかだって。

 

東京アトリエは確かに理想を体現していたし、本気で挑めばここまで素晴らしくなる、と言うことを証明してきた。

そこからの影響をいろんな場所で形にしてくれている仲間たちもいる。

それも一つの切っ掛け。

 

僕にとって、16で出会った当時の共働学舎が切っ掛けであったように。

 

数年前、東京アトリエに来た変わった人がいて、もう凄いメモの塊を持っていて、殆どが福祉系の現場なのだけど、全国を旅行しながら視察して歩いていた。ちょっと名前が出て来るようなところはほぼ全て網羅していて、それぞれへの洞察もしっかりしていた。

面白いなぁ、と思ったけど、何のために、って話してて、いつか自分も現場を創りたいと。でも、何処へ行っても、色んなところで取り上げられてたり、書かれていたりする場でも、現場の雰囲気が良くなくて、そこに居る人たちが本当に幸せだとは感じなかった。だから、自分が理想を持ちすぎてて、幻想なのかな、って思っていた、と。でも、東京アトリエにきて、あー、こう言う風に出来るのか、と、やっぱりこんな場所があるのか、と分かった、そんな話。これは嬉しかった。

みんなにそれを知って貰いたくてやってきたから。人間ってこうだよって。

 

施設からの視察の方は、石鹸作ってたり、作業所の仕事を見直すとか、外面的な事ばかりに気をとらわれて、絵を描くのはどうすれば、どんな環境をつくれば、みたいな話に直ぐなるのだけど、僕はいつも違いますよ、と。石鹸作ってて楽しくて幸せな現場になってなかったら、そこをアートとか言っても同じですよって。作業所でもなんだも良いのです。学校でも保育所でも。そこで何やってても。でも一つだけこれが無ければ何も無いに等しい。あと何があっても。それは人ですよね。誰が居るか、です。その人がどうか。

 

美だってそう。芸術も、教育も、福祉も無いのです。そんなものは存在しない。そこに人がいて、その人と繋がれるか、響き合えるか、人の幸せを引き出すことが出来る現場なのか、そこにつきます。

 

居る人で決まります。

頭の中で生まれた理念では何も出来ません。

 

もし、関わると言う何かがテーマになるなら、このことを決して忘れてはならないと思います。

 

それぞれの場所で、それぞれが幸せを引き出す場を創る、その切っ掛けになる働きを、これから僕もやって行きたいな、と考えています。東京アトリエのような、固定の場所で決まったメンバーで、と言う形はこらからは難しいです。でも、それぞれの切っ掛けにはなれるはず。ワークショップであったり、どこかの企画とのコラボで、相手側にも影響が広がって行けるような形や。個人レッスンも細々と出来たら。これから志摩に遊びに来て貰ったら、少し制作出来るような環境も創ろうと思います。

 

そして、ダウンズタウンプロジェクトは、そう言う波紋として広がって行って、色んな場所で、幸せな場が生まれ、人の笑顔に繋がって行ければな、と。あとはダウン症を持つ人達の調和的な感性が顕れた作品ですね。その力を多くの人達に知って貰いたいです。死にたいと言って来てた人がアトリエで作品に触れて、数年後にあの絵に救われて、生きていることが出来た、と。そんな話が少なくなかったです。そう言う力のある作品たち。それを単に見て貰うだけじゃなくて、皆さんの生活の場に置いて貰えるようなグッズを作って、それぞれの場所が明るくなって、その売り上げが作家達の元へ還元され、生活や次の制作に繋がるような、そんな仕組みを作りたいです。まだまだやって行きたいこと、やらなければならないことがあります。共感してくれる人達と力を合わせて、この世界を良くして行きたいですね。せっかく、この世に生まれてきた訳ですから。