母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

小さな声

昨夜は東京の保護者の方から電話で相談を受けていた。
ここ10年以上、困難の中で必死に生きて成長しようとしている作家がいる。僕に出来ることは僅かだけど、ずっと向き合ってきた。社会や周りにもっと理解があればこんなことにはなっていない。腹の立つこと、憤りを覚えることも沢山ある。こうしている間にも見逃せないサインを発してくる。それでも、今何とか居場所も確認出来、無事も確認出来た。多分そろそろ本人から電話もあるだろう。声だけは聴いておきたい。声で分かることが沢山ある。

社会は10年、20年前とは変わって来ている部分はある。多様性、ダイバーシティインクルージョンエスディージーズ、、、確かに社会の意識がそう言う概念よって少しでも見直されたり自覚化されるならそれは1歩になる。でも、キャッチーな言葉として、言葉だけ冠にしていれば宣伝になったり、何かやっている気になったりしてしまうのは、逆にその陰で大きなものを見落として行く危険すらある。以前、国会に重度障害を持つ方を、と言う話の時にも僕は書いた。それ自体は悪いことでは全く無いけど、それによって障害を持つ方々の代弁になると考えるのは、余りにも大雑把過ぎる、と。実際に言葉によって思考し対話する人間だけがこの世界にいる訳では無い。そう言う言語による文化の外にいる人達をどう見ていくか。大切なことは、いつでも耳を傾けていることであって、表面化されている問題と言うのは、ほんの一部、文字通り氷山の一角であることを忘れてはならない。良い思想を取り入れてます、とか多様な人材を採用しています、だけではなくて、如何にこの場に居ない人、ここからは見えない人達に向けて想像力を働かせられるか、配慮出来るか、と言うこと。やってます、やれてます、良いことしています、と言う声ばかりが大きくなる。その陰でますます聴こえなくなって行く声がある。でも、僕は見てきた、会って来た、一緒に過ごして来た。今でも沢山の声が聞こえる。一人一人の声を届ける使命がある。多様性は言葉でも概念でもなく、今現に存在しているこの世界の中で、置き去りにしてはならない無数の声がある、と言う現実だと考える。10代の頃、現場で学んだ唯一の基準はみんなが笑っているのか、だった。今、この世界でみんなが笑っているだろうか。みんなの笑顔に繋がるために、歩みを止めてはならない。