母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

ブログ終了します。

皆さん、お元気でしょうか。

 

なかなかどのタイミングで区切ろうか、と言う感じでしたが、そろそろにしないな、と思い至りました。

 

本日のこのブログを持ちまして、このページを閉じることとしました。

お読み下さった皆様、本当に本当にありがとうございました。

 

2年前、そして少なくとも去年には終わる予定でしたが、その間に色んなことがあって公で書くこの場所を続ける必要がありました。

ようやく、役割を終えた、と思えています。

 

まだまだ先は見えない現状ですが、僕の今後の方向性はここに書いてきましたので、これで良しとします。

 

一応なんですが、このページは公式ブログと言う位置づけでした。

東京アトリエが終了した時点で僕は個人に戻り、今後は個人として生き、色んな仕事やプロジェクトと関わって行こうと思います。

ですので、公式ブログと言う形をこれで終わりにします。

 

ダウンズタウンプロジェクトに関しましては公式サイトをご覧頂ければ幸いです。

 

その他、諸々佐久間個人のFacebookに何かあれば載せて行きます。

 

何だかんだと言う間に、このブログは沢山の方に読んで頂くようになっていました。

始めた頃には全く予想していませんでした。

 

今までこれで3つのページにブログを書いてきました。最初のサクマブログは、1番忙しく、現場にも外の仕事にも、プライベートにも必死の思いで向かい、ブログもそのテンションで書いていたので、数年で終わりが見えました。次のアメブロでのサクマブログ2は携帯が壊れた際にページへのログインが出来なくなってしまいました。

そんな中で始めたこのブログに、初めて母川回帰と言うタイトルを付けました。

その後、僕のもう一つのライフワークと位置づけるトーク企画母川回帰シリーズも始まりました。

 

このブログでは、前の2つのブログよりシンプルにして行こうと言う思いがありました。

ダウン症の人達の文化を伝える、と言う1点に絞ろうかと考えました。

ただ、続けるうちにそれだけでは行かなくなってしまいましたが。

 

でも、言えることはここで、この時間の中で書き、残しておいたダウン症の人たちのことは今後もますます重要になってきて、その時にこのページを見返して貰えればな、とそれを可能なように書いてきました。

 

100年先へ、と書いたこともあります。

それくらいの気持ちはありますけど、少なくとも50年後にここに書かれたことが、もっともっと理解され実践されていることを願います。今はまだまだです。この社会も、色んな活動、個人も団体も、まだまだです。

 

最後なので言わせて貰いますが、残念ながらまだまだ認識が浅いです。

これは、と言う人や活動はまだ出て来ません。でも、時間を掛けて少しづつ、きっと変わります。

 

宜しければ、昨年ユーチューブで公開した「ダウン症文化論」だけでもぜひご覧下さい。

 

僕はこれまでのような現場を引退しましたが、今少しづつ見ている子供たちのアトリエからまた新たな萌芽を感じたりしています。カフェのような小さな環境で人を受け入れる場を創ることも出来るかも知れません。

これからは個人としてそうした仕事をしていきたいです。

 

東京アトリエでのダウン症の人たちの持つ文化を伝え社会と繋ぐ、と言う活動はダウンズタウンプロジェクトへと受け継がれます。そして制作の場はワークショップとして繋いで行く形が見えてきました。

やっとちょっとほっとしています。

 

ダウンズタウンプロジェクトは今後ますます必要となってくる調和の文化を発信していきます。時々サイトを覗いてみて下さいね。

今後も応援の程、宜しくお願い致します。

 

皆様ともきっとまた何処かでお会い出来ることと信じております。楽しみにしております。繋がって行きましょう。

 

ブログを書く時間は、使命感や責任感で今言わなければとか、色んな想いの中で苦しい時もありました。正直、怒りや憤りで書いた回も、書きたくなくても書かざるを得なかった回もあります。それでも、楽しかった時の方が多いです。

何より読んで下さる方と共有出来たことが嬉しかったです。

 

これだけは忘れないでいて下さい。

今でも僕は過去の場に助けられています。

過ぎ去ったものは消えた訳ではありません。

いつでも人の心の中にある輝きが、全てを超えて希望を与えてくれます。

ここで皆様と共有した、制作の現場が見せてくれたもの。それは全ての存在が輝いていること、守られていること、何一つ問題など無い、と言うことです。

だから大丈夫なのです。例えそう思えない時の中に居るときでさえも。

皆さんのことを想っています。場を通して、言葉を通して、文字を通して、出会った全ての人達。近くの人、遠くの人。

みんなに届きますように。皆さんに楽しいこと幸せなことがいっぱいいっぱいありますように。そして、でも何かありましたらいつでもお気軽にご連絡下さいませ。

 

ブログ母川回帰、最終回でした。

 

皆様、ありがとうございました。

 

2021年7月 佐久間寬厚

 


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だから面白い

人って面白いですよね、って話をよくします。
これは何も制作だけの話じゃくて、場っていうのが全体的にそうなんだけど、これで上手く行くとか、こうすれば出来るって言うのがその人の中で出来上がってきて、自動化されて行ったとき、本人も気づかない場合が多いですけど、自分でそのパターンを壊し出しちゃうんですね。多分面白く無くなるんでしょうね。面白いか面白くないか、ってこれが生命にとってはとても大切なことなんですね。だからそう言う場面を見ていて、これを人生に当てはめると言うか、本当に見てて当てはまる訳です。つまり、不幸がないことが幸せではない、ってことですね。だから、本物の幸せは複雑ですけど、その中心に面白さって言うのがあると思うんです。


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場からの引退

まだまだこんな世界が続きますが、何とか何とか次の形へ向かっています。

ゆっくり、少しづつダウンズタウンプロジェクトも動き出しました。

 

そして、ワークショップと言う形で、嘗ての東京アトリエの作家たちの制作も細々と継続して行けそうです。何とか繋ぐことが出来たと思っています。

 

次へと繋がり、形は変わっても継続出来る方向性が見えました。作家たちの制作が可能であればそれ以上のことはありません。

 

やっと、これでやっとお伝え出来る日がきました。

佐久間寬厚はこれで場から、現場から引退します。

これまで何度かそのようなタイミングがありましたが、そうなるまでには至りませんでした。ここでも誤解の無いよう、付け加えるなら、ダウンズタウンプロジェクトも進めて行きます。その流れの中で現場を見ることもあるかと思います。また、志摩での地元の子供たち対象のアトリエも開いています。

ここへ来てくれた人への個人レッスンもやると思います。東京でのワークショップも僕が担当することもあるかも知れません。

それを場とは呼ばないのか、現場とは呼ばないのか、と言うとそこは微妙なところですが、これまで僕が場と言って来たものとは分けて考えています。

 

ですので、外面的にはそんなに変わりませんし、何も言わずに静かに移行した方が良いのかも知れません。

でも、個人的なことも含めて、ここはしっかりケジメをつけたいと思いました。これまで関わってきた場と、一緒に創ってきたメンバー達に敬意を示して。区切りとして、書かせて下さいね。僕の言う場や現場が何を意味するのか、恐らくは多くの方にはそれほど重要なことではないかとは思います。

 

ですので、ここでは、一区切り、形が変わって行くと言うくらいに捉えて頂ければと思います。

 

それでも僕にとっては特別な想いがあります。場と出会い、場の中を生きて来ましたから。

 

ここまでやらせて貰えたことに、感謝しかありません。見るべきものは全て見ましたし、行けるところまで行きました。

何一つやり残しはないです。

 

東京アトリエの終わりに、つくづくと実感したものです。間違ってなかった、と。

 

思えば16で場と出会ってから、中断期間を引いたとして25年間は場を生きて来ました。

もう1度言います。とことんやらせて貰えたことに、深く深く感謝します。

 

そして、そこで見て来たことは、もう始めていますが、語り残し、役立てる形にしておきたいと考えています。

 

場を引退したからと言って、これからの仕事はまだまだあります。

むしろここからが肝心です。

 

何より次に繋いで行くこと。

こどものアトリエは新たなライフワークになりそうです。

そして、ダウンズタウンプロジェクトを進めて行きます。

44です。新たな生き方、スタイルを探して行くことになりそうです。

 

ダウンズタウンプロジェクトでは、これまでとは少し違い、あくまで陰で支える仕事をしたいです。応援のほどよろしくお願い致します。よし子が中心となって進んで行くプロジェクト、本当に楽しみです。皆様もぜひお楽しみに。

 

改めまして、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

2021年7月 梅雨、嵐の夜。

佐久間寬厚


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思い出すこと

今まであんまり話さなかったことが幾つかある。昨年、板橋興宗老師が亡くなった。僕にとって人生の切っ掛けを作って下さった存在だった。中学生でいきなり会いに行って、会って下さった。中学卒業と同時にお寺に転がり込んだのも老師が受け入れて下さったから。そして、何より宮嶋慎一郎の本をくれたのも老師だった。僕が大乗寺で雲水の人達と一緒に生活していた頃、板橋老師がバスツアーを企画した。新潟にある良寛さんの五合庵に行った。帰りのバスで珍しく興奮気味でマイクを握り雲水達へ話した板橋老師。良寛への想いと五合庵でその生き方を確認出来たと語っていた。実はそれ以前に僕はたった一人で五合庵に行っていた。僕も良寛に憧れていた。そして、その後、もう1度行くことになった。今度もバスツアーで、それを企画したのは僕らの親方、宮嶋慎一郎先生だった。共働学舎メンバーで行った五合庵、宮嶋慎一郎が語った良寛と五合庵。今、板橋老師も宮嶋親方もこの世に居ない。僕は4度目の五合庵へいつか訪れたいと願っている。いや、その前に大乗寺や親方の居た家へ。合掌。

https://search.yahoo.co.jp/amp/s/www.chunichi.co.jp/amp/article/86074%3Fusqp%3Dmq331AQIKAGwASCAAgM%253D

 

無視できないこと

世の中、変なことばかり進んでいるけど、個別の話は止めておこう。
20数年、実地にやって来たし、しっかりとした経験と理論に基づいて、発言しても、多くの人はヘンテコな専門家や有名人やお医者さんの言葉しか信じない。想像力を持って、この流れがどこへ向かうのか、考えてみれば分かることでも。自分の立場を守るだけ、自分達さえよければ、そう言う人達が多すぎる。大人には責任があると言う当たり前のことをもっと自覚しよう。いい歳こいて自分のためにだけ生きるのは止めましょう。海も汚されて壊されて来ている、と言う話、身近なところから聞きました。確かな事実がすぐそこまで来ている。分かりきったことが、なぜ止められないのか。


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初めの一歩

良い天気です。夏はもうそこまで来てますね。このくらいの季節が良いです。

新生ダウンズタウンとしての初展示、皆様ありがとうございました。素晴らしいスタートを切れたかと思います。

昨日も少し書きましたが、いよいよなんです。これからですね。ここから始まりです。皆様、ダウンズタウンプロジェクトをよろしくお願い致します。

やっとやっとスタートの場所まで来たと言う実感もあります。よし子が最初のイメージを持ったのが高校生の頃で、大学の卒論でもありましたから。

この10年くらいでも色んなことがありましたね。僕の周りでも、正直多くの人が変わったなぁ、と思います。10年もあれば人は変わります。変わって良いです。だからしっかり見直して、足元確認して進みたいです。

さて、色々とご質問も受けるので、今後の体制だけはしっかりお伝えしておきたいと思います。実は何度かチラッと書いたのですが、その度にご心配頂いたり、お気遣い頂いたりで、これはもう少し丁寧に書かなければ、と感じておりました。本当にシンプルなことですのでご心配には及びません。役割分担でもあり、選手交代の時期でもあります。
一般社団法人ダウンズタウンプロジェクトは佐藤よし子が理事であり、代表です。2人ですか?とも聞かれますが、僕はあくまでサポートと言うか、担当する仕事を受け持ちながらちょっとだけ全体を見ています。

何故、こう言う体制をとることにしたのか、と言うとです。
もしかしたら、外から見ると分かり辛いかも知れないのですが、現場の目線は開いた活動をして行くべき時には邪魔になりかねないからです。少なくとも敷居が高くなってしまいます。
東京アトリエを守って居た頃は、それでも誰かが現場の責任を貫く必要がありました。組織にとって理想は色々あるでしょうけど、現実問題として、本当に場を守るためには隅々まで目を光らせている必要がありました。良い場に高めて行くことは大変なことでも、落としてしまうことは一瞬なのです。徹底的に作家優先の場はみんなにとって居心地の良いものでも、スタッフ含め、関わる人達にとっては負荷の掛かるものでした。人によっては潔癖症的にも完璧主義にも見えたことでしょう。
でも、これは素晴らしい現場に繋がっていましたし、僕らは責任を全うすることが出来たと思っています。

人には向き不向きと言うものがあります。僕は現場の人間。より開かれた動きとして、ここから沢山の人に関わって行って貰わなければなりません。そうしたときに、そう言う、みんなが入りやすい、参加し易いベストな形はなにか、と考えて来ました。
リーダーとなる人の資質、性格や雰囲気も含めて、ここは僕は一歩引く場面と判断しました。
分かり安く引退してしまえば良いのですが、まだまだ人材も頭も労働力も不足していますので、それに僕も次なる仕事が見つかっている訳でもないので、ここで性格上少し努力の必要はありますが、口は一切出さず体だけ動かそうかと思っています。

ダウンズタウンプロジェクトはよし子が中心となって、様々な方々に参加して頂いて、ご協力頂いて、みんなで創って行く、新たな歩みとなります。

これから東京アトリエのメンバーや、外の人達にも開かれたワークショップを月に1度程行います。
また素晴らしい作品も生まれることでしょう。作家たちの最高の笑顔とも出会えるでしょう。展示やグッズ販売等、企画もどんどん進めて行きたいです。そして、安定した場作りですね。自然の中でのカフェやミュージアム、来て下さる方々の落ち着いた居場所になるような場を。

こう言うことを書くとまた誤解を招くかも知れませんが、やっぱりちょっとだけ。
先日は展示を行いながら、トークしながら、不思議な感覚がありました。ああ、終わったんだなぁ、と。物理的な終わりは東京アトリエの終了だったかも知れないけど、精神的と言うのか、もう嘗てのような現場はないんだなぁ、って。寂しさももちろんのありますけど、でも全く悔いは無いです。次の人が現れたらいつでも交代するつもりでしたから。終わりました。だから始まることが出来ます。ここからスタートです。

ここから始まるダウンズタウンプロジェクトにどうか皆さん、ご期待下さい。そして応援よろしくお願い致します。


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