母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

今年も

2021年1月12日。
ここ数日の中で今日は寒さも落ち着いている。ハルコの命日。心を込めて彼女が大好きだった珈琲を淹れた。
久しぶりにサクマブログより、東京都美術館での展覧会の図録にも載せた文を。

 

「空と地底のつながる場所」
ダウン症の人たちの世界について思うとき、いつも思い出す情景がある。
彼らの制作に携わるようになってまだ数年の頃の夏におこなった三重県での合宿。
澄み切った青い空。あたたかい風。波の音。草や木々の濃い色彩。蝉の声。
静かな時間の流れ。無限を感じさせる日の光。
夏の気配に包まれていた。
「とおいいね」とハルコがいう。その言葉がスーっと身体に入ってくる。
ここは遠い、遠い、場所なのかもしれないと感じる。
坂を下りると海に出る。湾になっているので、波も無く、小さくて静かな海だ。
ハルコは坂の途中で葉っぱや花に話しかけ、「かわいいねー」と微笑む。
他の子供や大人達の話し声が聞こえる。
犬がゆっくりついてくる。頭を撫でて可愛がる。
屈んで「膝、ペロペロして」と言いながら犬を見詰めている。
「なめてくれないの?ケチ」
僕の方を見て、
「ナスちゃん(犬の名前)、なんでハアハアいってるの?疲れてるのかなあ」
しばらく犬の顔を観察している。
「いこっか」といって坂を下りる。
青い海。ハルコは石と貝殻を集める。指でそれぞれの形をなぞり、
「かたち、かわいいねえ」と笑う。
無限を目の前に、佇んでいるような気配。
時間が止まっている。世界はひたすら広く深い。
いつかどこかで体験した事があるような美しい時。
彼女の存在は、静かで深く、青い空と海と草木に溶け込んでいる。
自然自身が語りかけてくるようだ。
こんな穏やかな一体感に包まれたのは初めてかもしれない。
「石なげしよっか」「うん。やろう」。
僕は石を集める係。ハルコは海に向かって投げていく。
チャポーン、ドボン。
石の大きさと投げる高さで変わる波紋と音を確認しながら。
ハルコは自然の一部として、自分の存在や目の前の景色を、
ゆっくりみつめ、味わっている。
存在する全てのもの、すべての瞬間を慈しみ、触れ、感じ、耳を澄ませて聞き取っていく。
僕が石を投げると、ハルコはびっくりして
「すごい。高い、高いね。もっと高く投げて」
僕はどんどん遠くまで投げる。
「もっと。お空まで、お空まで届くまで」
思い切り高く投げると、しばらく石が落ちてこない。
静寂の後、ドボーンと石が落ちる音。
今度もハルコは驚きの目で海を見つめている。
「すごい、すごいね。おそらまでぶつかったね」。そして笑う。
「おおきいね。お空と海」
僕たちを囲んでいる事物は計り知れないほど、大きく深い。
「ここ、穴掘ろうよ」とハルコがいう。
夕暮れちかく、2人で穴を掘り続ける。
「もっと、もっと深く掘ろう」
黄金色の光が辺りを包む。
「もっと掘ろうね」
「もっとふかく。お空までとどくまで」「お空にぶつかるまでね」

その日見た、景色を僕は鮮明に覚えている。
僕たちは地球と遊び、空や海に触り、宇宙に行った。
こころの奥の、奥の深い場所で。
投げた石は空にぶつかり、どこまでも掘り続けた地面は、地の底まで触れ、ついには空にまで届いた。
そこでは天と地がつながり、すべてが身分の状態で輝いている。
その時の気配こそはダウン症の人たちが持つ、人間の原初的感覚の世界なのだと思う。