学校つくっちゃった
今日はちょっとこの絵本の話をしてみようかな。出版されたのは2006年、ここに書かれているエコールを初めて4年、と言う年だった。よし子と結婚した年であり、多摩美術大学での仕事が始まった年でもある。
16年前だ。
この本はある意味で一つの原点でもある。
そして、4名の作家達と、よし子と僕とで創ってきたものの記録でもある。
ここで映っている場所も今はもう無い。
あれからこの本を見返すことは無かった。
だから語ったこともない。
没頭する日々だった。
まだまだ客観視出来ないと言う自覚もあった。
今、見てみると、凄い実験、実践だったな、と驚く。こんなことが出来たなんて。
正しく人間の可能性への挑戦だった。
みんなは答えを見せ、証明してくれた。
そんな記録が鮮やかに映っている。
もちろん、今の目で見ると写真がくすんでいたり、色々、今なら良く出来るところは多いのだが。なにせ、当時はこの作業を、写真をプリントアウトして、それを切り抜いて紙に貼って、更にそれをコピー、みたいな流れで手作りしていた。
今見ても、これが一つのモデルだ、と思う。
こんな場所が、この世界にあったら良いな、と多分多くの人が感じてくれるはず。
そう、それから、この本を作る前に、実は絵本ではなくて、この可能性への実践の記録を、1冊の本として纏めたい、と思っていた。幻冬舎に手紙を出したりしたな。その頃の幻冬舎の社長秘書だった安藤眞規子さんには、本当に良くして貰ったし、その後もずっと応援して下さっている、大切な存在。
作りたかった本には端書きがあって、その文章が残っている。この文章はその後、文面を変えて確かブログの方に載せたはず。
今、元々の文章をここに紹介してみたい。
序曲 調和のビジョン
ダウン症の人たちには、環境や秩序に対する、ある種のつつましさがある。
あるいは、謙虚さや配慮と言ってもいいかも知れない。
彼らには暴力性がほとんど感じられない。
彼らの感覚は敏感で鋭い。
彼らはたえず瞬間を生きている。
自由でとらわれがない。
静かで柔らかいこころ。
彼らは自然と調和する。
これまでダウン症の人たちと接してきた時間は、彼らの特徴である優れた感性を実感させてくれた。
僕たちは彼らと一緒に学校を創っている。
僕たちが何を学校と呼ぶのかは、この本全体で現して行きたい。
この学校は小さいけれど、どこにもない新しい学校だ。
彼らの優れた感性が傷つけられることなく、守られ伸ばされていけたら、どんなに素晴らしいことだろう。
その感性から僕たちの社会は、新しい世界観をつかむことが出来るだろう。
おだやかさ、争わないこと、人や地球に対する優しさ。
今と言う時の大切さ。小さなものや、出来事への気づき。
何よりも共生と平和。
彼らの感性が示すもの、それは調和のビジョンとでも呼べるかも知れない。
ダウン症の人たちが、彼ら自身で創造して行く学校。
それがエコール・エレマン・プレザン。
この本はその創造の過程と、その時を共有したスタッフの思考、それらの記録である。
この文章が書かれたのは2003年となっている。その時点ではまだ纏まっていなくて、ただ日々繰り返され、見せられた作家達の創造性と生命力を前に、この素晴らしさはいずれは形にして世の中に紹介しなければ、と感じていたのだろう。もし、このイメージで本を作っていたらどうなっただろうか。
それから3年後、絵本となって作家達と創って来た世界が、一つの形となった。
今見ると未熟だけど、あの頃にしか出来なかったことでもあるな、と感じる。
さて、これからの10年でどんな世界が創造出来るだろうか。