母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

見極める目を

新学期始まりましたね。

 

子供達の春休みも終わって、みんな元気に過ごせています。

 

ところで、手に取るもの、口にするもの、現代の生活の中で触れる多くのものが、出所の分からないものになりつつありますね。情報と言う形の無いものもしかりです。気をつけましょう。見極める目を養うことは、これから命に関わる問題となってきます。

 

世の中の多くのジャンルが嘘だらけのインチキ、インスタントなものだと知った方が良いと思います。

 

先月のこと、遥々遠くから東京のアトリエへ来て下さった方が居ました。全国各地を回って、障害を持つ人達のアート作品と、その現場を見て来たそうです。東京アトリエの作品を前に圧倒されていました。ここまでの作品がこんなに生まれている場所は他にない、と驚いていました。そして、今良い作品はぜんぜん見つけられない、と言う話もしていました。

だからはっきりお伝えしましたが、それは当然のことなのです。偶然は何度も起きません。良い作品が生まれるのには仕組みが分かっている人間がいないといけません。そんな人間が一体何処にいるのでしょうか。それを考えただけでもいい加減なものがいかに多いことか。そろそろ真面目に取り組みませんか、と問いたいです。作品とは作家の生命なのですから。

 

これはニュアンスを間違えて欲しくないのですが、言葉だけで物事の本質を見ようとしない人が多いので言います。障害を持つ人=ピュアとか、=とらわれない、とか障害を持つ人達が描けば良い作品になる、とか、初めから決めつけているなら、それは全くの偏見と言うものです。しっかりと見極めないと、作品を創ることで可哀想な目に遭う人も出て来ます。

 

例えば、ダウン症のある人達は幸せである、と言うデータがあります。これを従来の偏見に対して希望として提示する人達もいます。テレビやメディアでも取り上げられて、かなり注目もされました。正しい部分もあります。不幸である、と言う従来の偏見に異議を唱える必要ももちろんあります。でも、気をつけなければ危険です。幸せである、だからそれで良い、と言う流れに繋がるからです。ダウン症のある人達に対して、本当に当人達が幸せであるために、改善しなければならないこと、取り組まなければならないこと、目を逸らしてはならない多くのことがあります。

もっと知らなければならないこと、耳を傾けなければならないことがあります。

 

幸福度と言うものを、これまでの価値だけでは無いものとして提案すること自体は良いかも知れませんが、果たして幸福までもが順位で語られて良いものなのでしょうか。数値化出来るものでしょうか。

そういう競い方がまたあらたな不幸を呼びます。

 

安易なことなど何も無い。命に向き合うことは丁寧に、身体と心を使って、感覚を動かして行くことです。教育しかり。上手く行く方法論に走ったらお終いです。

 

ブームに流されてはいけません。ブームとは終わるからこそ起きるのです。僕たちの前にあるのは一人一人の生命です。理念ではない。数値や理屈通りにならないもの。

 

言葉は言葉でしかないし、ブームはブームでしかない。日々、命に向き合い、みんなの笑顔と繋がって行くこと、それが最も大切なことです。

 

次の土日のクラスから東京アトリエです。

みんなの生命が響き合う場を。


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