母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

生命体の声を聴く

急に寒くなったりと、体調的に落ち着かない人も多いかと思います。

ゆっくり焦らずが何よりだと思います。

 

4月はやっぱり何かと相談のお問い合わせも増えます。

普段見ている作家たちからの電話も増えます。

作家たちの声を聴きながら季節を感じます。

生命と言うのは言葉よりも音楽のようなもので、メロディを聴くことが大切です。

そして、聞こえないところを感じなければ。

 

元気で健康で幸せであること、それは揺れの中でバランスを取る心地良さです。

 

人を型にはめ込むことは、命の勢いを削ぐことです。

良い悪いを決めつけることで、命が小さくなります。

 

全体の流れを感じて、いつでもこれもありだね、と言えることが自分にとっても、相手にとっても大切なことです。

 

今の社会は多様性を強調しながらも、とても狭い視野に立って人を攻撃しますね。

そう言うエネルギーはみんなに影響します。

 

間違えるとか、道を踏み外す、と言うことは大事なことなのに。例え間違えて誰かに迷惑をかけたり、傷つけてしまったりしても、素直にごめんなさい、と謝れば許すと言うことが共有されるべきです。

 

悪いことをする人達は本当に多いです。

でも、それで終わりで良いのでしょうか。

悪かったから、その人に対してはどれだけ攻撃しても構わない、と言うことに何時からなったのか。

 

道を踏み外す、と言ったけど、道自体が本当に狭くて細くて、一列でないと通れなくなっている世の中。

 

ずっと人の心と向き合ってきて、人の心と一つになると言う仕事をしてきましたから、言わせて下さい。

不寛容は危険ですよ。

許すこと、認めること、で救われるのは、許された側だけではないのです。許した側、認めた側も、そのことで得るものは本当に大きい。

 

人が、人や出来事を許し、認めたことで、自らの生命力が一変に溢れ出る場面を何度見たことか。

 

失言なんて言うのも、これ本当にみんなやってますよ。確かに立場によってはその無自覚は非難されても仕方ないかも知れない。でも、失言というものの裏に何があると思いますか。

物事を認知する注意力とセンスと言うのは、人によってかなりばらつきがあります。人が少し気をつければ出来ることも、ある人にとっては物凄く気をつけても間違えたりする。

そう言うものなのです。と言う部分も少しは視野に入れて頂きたいものです。

 

人間みんな傷つけ合っています。

迷惑をかけ合っています。

それなら許し合えるようにしたいものです。

僕自身もプライベートではぜんぜん出来ていないことなので、書きました。

 

色々と疲れも出たり、上手く行かない人達も多い時期ですが、生命体は揺れるもの、後で振り返ると、また違う景色が見えてきます。

 

作家たちの声を聴きながら感じたことでした。

 

今東京ですが、志摩の我が家の子供達の写真です。


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