母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

無心であれ

この経堂でのアトリエはあと数えるくらいしかない。そんな中で相談もあれば、これから活動するので教えて欲しいと言う方もいる。また、障害を持つ人達と関わる人達の目に余る行動を見たり、耳にしたりもする。僕らの活動が少なからず影響力を持って、その流れの中で生まれて来たものも、こんな方向に行ってしまって良いのか、と疑問に思うことが多い。今後、僕自身は少なくともアプローチを変えることになるだろう。固定の現場はもう持たないかも知れない。だからこそ、言っておきたいこともある。
先日は出会ったばかりの保護者の方とお話した。お子様は制作を楽しく続けてきて、作品が最近になって世間で評価されてきたそうだ。これからどんどん売り込んで行って、社会的に成功させたいと仰る。その時点で本心には迷いがあるな、と感じた。だって僕がそう言う流れを危惧していることは様々な形で言葉を出して来たし、それを知った上であえて会いに来ているのだから。成功するか、評価されるかどうかではなく、本人が幸せを感じられる生き方は何か、それを感じ取るべきだ、と言ういつも言っている通りのお話をすると、保護者の方の表情はリラックスしたものになっていった。周りに惑わされていました、と仰った。チャンスを逃してはならない、と急かされていた、と。よくよくお話を聞いていると怖いなあ、と思うことも、酷いなあ、と思うことも沢山あった。これは一例だけど。
ある団体は作品を取り扱うために、現場に行き作家から同意をとる、と言う。その中で作家達がもっと出たい、もっと評価されたい、と意思を伝えてくる、と。彼らも評価されたいと思っている、だから彼らを無欲だとか理想化しないで、その現実の姿を伝えるべきだ、と言うとんでもない主張をしていた。これには心底腹が立った。素人以下の見解だ。一言だけで言おう。貴方達の汚れた心に彼らは影響を受ける。まず自分達が入ったことでどんな影響があるのか、考えて感じて、その責任を負う覚悟を持ちましょう。
どんな場面であれ、作家達と関わる人、社会と繋いだり、企画する人、そして最も大事な制作の場で関わる人に、このことだけは忘れないで欲しい。僕らは仲介であり、中継地点に立つ役割だ。自分の想いや感情を乗せてはいけない。作品は心の奥から溢れ出てくるもの。流れをせき止めたり、変な方向へ導くべきではない。変なもの乗っけたら駄目だから。汚れたのもの、穢いもの、乗っけたら駄目だから。純度100で、混ぜ物したら駄目。たとえ、親や家族であっても汚してはならない領域がある。本人の尊厳を冒してはならない。変なブームが変な流れを作っている。いつでもそれがどんな結果をもたらすのか、考えて行く必要がある。それは人を幸せにするだろうか、そのことに関わった人達が責任を持てるだろうか、それを忘れてはいけない。作家達と過ごす時、制作の場に立つとき、僕は無心になる。全身全霊でその人の声を聴く。流れを決して汚さないように、透明に流れて行く、作家達と同じ流れに乗って。はっきり言うけれど、厳しい内省が要求される仕事だ。安易な気持ちで関わるくらいなら、近づかないで自分のやりたいことを自分でやった方が良い。人のふんどしで相撲を取るな、と言うことだ。危惧していることはまだまだ沢山あるけれど、一つ一つ取り上げて対応していってもイタチごっこ。だから、これからは違う方向から何か出来ないか、と考えている。