母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

コロナ以後の世界

本当はこの手の話はしないようにしていた。

でも、これからに向けて気づく人は気づき出しているだろうし、少し言葉にしても良いかな、と思った。

 

世界は大きく変わってしまった。

変えない方法もあったけれど、やはりそちらは選択されなかった。残念な部分もあるが、もうそれは仕方がない。

 

今後も含め、どう変わったかと言えば2つの側面があるだろう。

良い方向と悪い方向とはっきり呼んでしまってもいいも知れない。

一つは確実に見捨てられた領域があるし、これまでも大切にされて来なかったものが、ますます切り捨てられている。

これまでだってこの世界には平等はなかった。そんな世界に加速がかかったし、意味や効率や合理性が、それ以外のものを全て犠牲にしても良い、と言う流れは止められなくなってしまった。

不要不急や最前線と言う言葉の危険さ。

人の営みに序列をつけて良いのか。

はっきり言えることは、何が不要不急で、何が最前線なのかは、現場でしか判断出来ないはずだ、と言うこと。

一体誰が、その線引きをしているのか、少なくとも最前線の現場からではないことは確かだ。ここが最前線、一歩も退くことは出来ない、と言うその線は、そこに立っている人間以外は分からない。当たり前の話だ。

 

先日も衝撃的な写真を見た。

小学校の給食時に、子供達が四角いシールドに囲まれていた。身体的にも精神的にも、人や世界と距離を作り、切り離された子供達の無意識に何が刻まれて行くのか。

大人の責任だ。こちらも強い言葉で言うしかないが、僕にはこれは虐待としか感じられない。ことの重大性が分かっていないのだろうか。このような世界への不信と孤立は今後、個人の心に大きなダメージを残し、埋められない穴となるだろう。そこへ向けてどんな方法で立ち向かい、人間を回復させられるのか、それがこれから長い時間をかけ、取り組まなければならない課題となる。

 

もう一つは、巨大なシステムが崩壊し、これから小さな規模での繋がりや活動が進んで行くだろう、と言うこと。そして、そこにしか可能性は無いのではないかと感じている。

 

イメージで言うなら、庭とか、公園規模でのコミュニティがこれからの進むべき形。

巨大化して行くシステムや数の論理が、どんどん駄目になって行くのは、その中で勝っている人達にとっては痛みを伴うけれど、全体としては良い流れだと思う。

 

顔の見える範囲での繋がり。顔を合わせていれば通じることは沢山ある。循環出来る最小のシステムを創ることが、これからそれぞれの場所で起きて行くのだと思う。

 

SNSやバーチャルの問題は、本当に大切で必要なことは、膝をつき合わせなければ共有出来ない、と言うこれも当たり前の事実を、多くの人が忘れてしまうこと。

思えば昨年2019年より、トーク企画として母川回帰シリーズをスタートしたのは、小さな本物のコミュニティを創ろう、と言うビジョンからだった。今なかなか企画を進めて行くのすら難しい状況だけど、これは何とか続けたいと思っている。

 

そして、これから、今こそダウンズタウンへのビジョンを共有出来る時なのではないか、と感じている。今こそ、真にみんなが必要とするコミュニティを、その入口だけでも、僕らが生きている間に創って行きたい。

 

また書きます。


f:id:skmskm77:20200603164110j:image