母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

あの頃みていた景色

これ、別ページに書こうかな、と思っていたけど、

母川回帰と言うここでのテーマと重なるので。

 

ダウン症の人たちの世界を人間の原型と捉えて、そこから問い直して行くことの重要性をずっと語って来た。子供の世界とも通じるところがある。でも異なる部分も大きいのであえて同じにしないようにしてきた。今、改めて子供の視点や子供の世界のことを少しだけ書いてみよう。

 

信州で暮らして居た頃は子供達に囲まれていた。それに合宿等で沢山の子供と過ごしてきた。

知らない子供が着いてきたり、話しかけてくることが多い。昔から子供と付き合って来たけれど、自分に子供が出来てからはまた違う時間が流れ出した。今の時期が愛おしく大切に思う。とてもシンプルな言い方になるけど幸せを感じている。

誰の言葉だったのか、忘れてしまったけど、子育ての時期と言うのは、自分が子供だった時代をもう一度生きることだと、確かそんな言葉があった。とても深い言葉だ。そして真実だと実感する。

 

子供を通して、自分が子供だった時代(それは時間的なものだけでなく、心の深くに今でもある一つの層としても)を再び経験して行くこと。そして、一度ではなく、もう一度経験して初めて分かることがある。

 

個人的な体験で面白いことが幾つかあったのだけど、話が逸れるのでこれはまた別の機会にしたい。

 

子供達があまり出入りしなくなった子供部屋を移動した。本棚も取りやすいようにと、みんなの居る広い部屋へ。絵本の整理をしていて感じたのは、子供と遊んだ時間の中で今のところ絵本の時間が1番多く、長いのではないかな、と。

何度も読んだ絵本。今もよく読む絵本を何気無く見ていた。「いってらっしゃーい いってきままーす」と「はじめてのおつかい」

子供の眼差しがとても上手く描かれている。僕達はみんなあんなふうに見ていた時代があった。

世界は何処までも広く深く、時間は無限のように長く、未知の期待と不安が交差して、冒険のように生きていた。全てが身方してくれていた。何の疑いも持たず、遙か彼方まで歩こうとしていた。

疑うことを知らなかったころ。知らないからなんでも出来たころ。あの頃に全てがある。完璧な世界の中で絶対的な安心感に包まれていた頃に。

 

そして、子供達に残せるものはただ一つ、この時代の記憶だということ。本当の意味の自信も肯定もここからくるから。それさえあれば僕達は生きて行けるもの。他のものはほっておいても勝手に覚える。勝手についてくる。疑うこと騙すことを覚えて賢くなったつもりになる。いつの間にか分からなくなっていく。教育も生き方も本質を逸れて行く。

 

だから僕らは人間の元を見て行かなければならない。

子供達のことであり、また自らの子供の心であり、原風景である宝物のような時代を。

 

そして、その先に人間としての原型的な世界がある。

世界と切り離される前の、全てが一つとして存在する豊かで満たされた世界が。

 

ダウン症の人たちの描く作品や、彼らの心の世界を通して、人間にとって何が本当に大切なのかが見えてくる。母川回帰。僕らは嘗てどのような存在であったのか。その記憶が身体に、本能に、確かに刻まれている。あの何処までも広く、無限に続く世界の中を、僕らは今も思い切り走り続けている。

 


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