これから何処へ向かうか
久しぶりになかなか言葉が出てこないまま時間が過ぎた。ぼんやり過去のSNSに上げた記事を振り返って見ていた。本当に色んなことがあったな、と。
最近、僕の過去のブログを読んでくれる人がいる。
かなり一生懸命書いていた時期もあったから、真面目に読んで貰えるのは有り難い。
言い尽くした、言葉で書けるのはこんなところか、と言う思いと、まだまだ、と言う気持ちが入り乱れる。
確かに言えることは、何時でも、生きた人の想いを聴いて来て、今を、この時を生きている人達の感じていること、望んでいること、を受け取ってきた、と言うこと。狭い業界の問題には目を向けて来なかった。
外の人達にどう響くか、届くか、価値を持つのか、。日々の制作の場から見えて来るものを、外に向けて開いて行くこと。繋ぐこと。
今、人は、世界は、何処へ向かおうとしているのだろう。何時でも狂いのないもの、確かな感覚。基準となり得るもの。母川回帰。この言葉は何時でも僕たちの内面深くで鳴り響く。
ダウン症の人達の持つ感性は、人間の本源を示す、と言うことを何度も何度も書いてきたし、語って来た。
人はその原点となる場所を探している。
今ほどそれが切実に求められている時はない。
源泉へ回帰していく時、人は安心感に包まれながら、この世界を懐かしい過去のように慈しむ。
全てはそこであるべき姿をしている。全てはそのまま素晴らしいもの。僕らは守られている。大丈夫。
そんな場所が今ここにある。
何時かはみんながこの景色を見るときが来る。
ダウン症の人たちの描く作品には、その気配が漂っている。母川回帰。僕らは流れを全身で感じている。流れに身を委ねた時、回帰へと向かって行く。
何もかもが完璧に良く出来ている。