今なぜ
「この世界に生まれて」を、
なぜ無料企画にしたのか。
ここに母川回帰シリーズの使命感がある。
正直に話すなら、ご想像通り、人も材料も、その他諸々が物理的に動く訳で、当然赤字どころか、と言う話。
会を運営して行くには当然、資金が必要。
通常であれば、その場で別の何かを販売するなり、何かの宣伝に使うなり、何らかの形で元を取ろうとするのだろう。
それが普通だから、もしかしたら中には、この企画だって何かしら辻褄合わせがあると、想像してしまう人がいても可笑しくはない。
でも、はっきり言いましょう。
種も仕掛けも無し。見たままです。
今回の企画で、皆さんから何か頂くことはありません。勧誘もありません。
ご安心を。
この世の価値で得をしたければ、もっと違う生き方していますから。
多くの方は、上手く与えられて来なかったので、受け取ることが下手なのです。
疑いに慣れてしまっています。迷い無く素直に受け取ることが出来る人間になれたら幸せです。
確かに、経済活動はとても大切なことです。
理想は、見合ったお金が動き、信頼の中で良い循環で繋がって行くこと。
お金が介在することで初めて、良いものを創り、守ることが出来るのです。
ただ、このからくりを説明するのは、ここでは長くなりすぎるのでしませんが、お金は良いものを生まれ難くさせたり、壊してしまったりする仕組みでもあるのです。
経済活動を超えたことも、またやっていかなければならない。
生産性だけでは大切な土台を失う。
これは道徳や倫理の問題ではなく、仕組みの問題だ。
そのバランスをとるために、チャリティーやボランティア等が存在する。
それが本来の意味だけど、それらが真の意味と力を発揮しているのかは、疑わしい。
例えば、施す、と言うのは、本当のところ、上から下へ、或いは富める者へから貧しき者への行為ではなく、捧げる、贈る、と言う行為によって、この世界と繋がって行く、と言う本能の営みだと言うこと。
「肯定する力」で語ったように、人間は最初、誰しもが受け取る、与えられる存在であったはず。過去に与えられたことで、その人は豊かになり、過去に与えられなかったことで、その人に傷がついた。これがトラウマと言うものでもある。そして、その過去をも変えて行くことが出来る、それが本来の過去と生きる在り方だ、と言うことをあの回で話している。
そこで今回言いたいのは、「肯定する力」は「受け取る力」、或いは受け取ることによって生まれる、と言うことだ。
与えられたのに受け取っていないことを、これからしっかり受け取って行こう、と言う話。
真の意味でのチャリティー企画と言う位置づけだ。寄付するお金は無くとも、出来ることを通してギフトを贈る。
与えられる経験はどんな人にとっても、実は必要なことで、貧しい人や困っている人達ばかりではなく、普通の人、不自由していない人、どんな人でも、ただ与えられる、贈られると言うことがあって良いのです。
ある日、突然、ただ贈与される。
誰でも。それは夢があることです。
この企画で僕たちが言いたいのは、人は命を与えられ、この世界に生まれ、そして、全ては与えられたから、ここに居て生きているのだ、と言うこと。だから、これまで上手く与えられなかった人も、それから充分に与えられてきた人も、プレゼントが贈られるということです。受け取って良いと言うことです。それがこの生の本質なのです。
もう一つ。
無償で働くと言うことは、それ自体が大きな価値であり、喜びだと言うこと。
10代の頃は、無償で働いていました。
寝ずにだって働けました。
そんな中で学んだことばかりです。
有り難い時間でした。
今でも無償で働くことは多いのですが、こんな企画を立てたのは初めてです。
今回の参加費無料での企画は、そのこと自体がテーマ内容なのです。
どなたでもご参加頂けるのです。
僕たちが用意したこの時間をプレゼントします。どうぞお受け取り下さい。
面白いと思いませんか?
このビジョンに共感して下さる方に、お会い出来たら嬉しいです。
母川回帰シリーズ番外編
「この世界に生まれて」、経堂アトリエにて、9月23日(月祝)開催します。
皆さま、よろしくお願い致します。