母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

終わらない夏

セミが一斉に鳴き始める。

微かな風鈴の音。

 

夏が来た。

大切なことのほとんどがこの季節に起きている。

そんな気がしてしかたない。

暑い季節に沢山の勝負を張ってきた。

今年も挑む。

 

昨日書いた記事の通り、今全く新しい気持ちで、全く新しいタイプのトーク企画を進めている。

母川回帰シリーズは、これまで講演やトークショーと言う名の下に行っていた企画では飽き足りない、と言う思いもあって初めている。

そう言った方向性には限界を感じている。

今、この企画を遠くから見て、何故あんなことやってるのかな、と感じている人達は10年後にお話しましょう。

 

こう言うタイプの企画ややり方も今後は広がって行かないとも限らない。

 

ここで絶対話が逸れますが。

例えば最近は障害者アート業界(この呼び名が既に不味いのだけど、まだまだそのレベルであると言う事実を踏まえ、あえてこう呼ぶ)でもブランドとのコラボや、グッズを商業ベースの中で売って行こう、と言う流れも来ていて、それなりにオシャレでそれなりに成功しているものもある。でも、またまたあえて言うけど、まだそこですか、と言うことだ。10年前にやってないとこれ本当はもう遅いです。それくらい、まだまだですね。で、更に言うなら、そんなのは手段であって、目的ではないので、そこを目的にしている以上、大したところまでは行けないでしょう。

 

そんな流れも見た上で、今こんなことを始めるのです。一見逆行のように見える部分があるかも知れませんが。

 

暑い季節に。夏と言えば2年前の夏アトリエもそうだった。力の限り挑んだ連続での制作。

これは最後に証明したいこともあって挑戦しました。

その結果が実は今回の母川回帰シリーズでのトークにあったりもします。あそこで最後の確信を持ち帰っていなければ、今こうしてお話してはいないでしょう。

 

昨今は思いつきでやる人が多いですが、僕は仕組みを大切にするし、韻を踏むことを大事にしてきました。

 

じゃあね、今日は特別編で、何がまだ語られていない視点なのか。何が語られるべき視点なのか、と言う部分を少しだけ書きましょう。

こう言う見方を僕は16の頃からずっとしてきたわけで、今でも誰もしないことなのです。

で、母川回帰シリーズの中心のテーマがそこでもある訳です。だから、今こう言うテーマを深めるべく話しているのです。種を明かしてしまうなら。

心ある人はこの記事のことを覚えておいて下さい。

或いは保存版で。

 

それはこう言うことです。

人間学的に、人の心の形を捉えて、そこから人も自分も見ていく。精神、身体含め、様々な障害も、人間の心と生命と言う視点からダイナミックに、人間存在、生命体の動きとして見て行く、と言うことです。更には実践的にそれらを動かし、変えて行く力を養うことです。ここは誰も未だに語って居ないです。少なくとも現場で充分な実践があって、形で証明してきた人はいないでしょう。何度か言いましたが、正直なところ僕1人でしょう。あるいは佐久間が最初でしょう。

実感としては僕の師匠にもそう言う視点に繋がる萌芽のようなものはありました。いや、僕はそこに学んだ訳だし。プラスするなら、場の質によって次元の違う作品が生まれ続けることも証明済みです。

 

これも随分前のことです。今では考えられないことですが、大きな団体から講演を頼まれたり、学会に呼ばれたり、と言うのが続いた頃がありました。今思えば先方はかなり勇気ある人達ですが。ある歓迎会の場で、福祉関係の世界での大物が、僕の切り口に強い興味を示し、背景を知りたがりました。話している中で、10代で出会った施設(これも本当は施設と言う枠ではないのですが。)の話題になり、その方は昔から知っていて注目していたと言いました。我々の世界では興味を持たない人間は少ないとまで言いました。その上で行ってみたいとも思ったけど、あそこの活動は我々の世界では異端中の異端だから、と。なるぼどなあ、と感慨深い思いでした。確かに過激な実践でした。色んなことが行われていました。ここでは書けませんが。でも、あの頃、その場所でも僕は異端と言われた訳で、そうなれば、異端中の異端、の中の異端?。

それが僕だったのかも知れません。

要するにそこでの実践や師匠のやっていたことの中には、今僕が話しているような、大きなところから人間存在を見直し、捉え直し、障害のみならず、人の心の本質を見極めて行く、と言う要素がありました。ありましたが、それは中心には決してなってなかったです。垣間見える程度でした。もっと平等とか、協力とか、思想的な理念であるとか、農業を中心とした労働を通しての共存がテーマの中心でした。そんな中で一人一人の心の在り方を追求し、共有し、そこから人間とは何かを問う。そして一人一人の幸福を実現する、と言う、この方向性への実践と言うのは、僕がパイオニアだと今でも思っています。

相手の心の奥深くへと降りたって、そこで共有したものを現実の世界へ持ってきて、繋ぐと言うところ。

理屈だけなら、もしかしたら言ってる人がいるのかも知れませんが、少なくともやって来た人、やっている人はいないでしょう。

 

こう言うこともね、ここまで正面からはっきり言ったのは、まあ、今回が初めてで、それは母川回帰シリーズを始めたからこそ、出てきた言葉ですね。

 

ブログを始めて、サクマブログ、サクマブログ2があって、色々あった後にこの3つ目のブログに母川回帰と言うテーマをつけたのも、そして、よりテーマを絞ったことも、50年、100年先を意識した言葉を綴ったことも、全ては一つの流れから来ていることです。

 

大事なことは既に書き残しています。書けることまでは。そこから先のことは直接お伝えして、1部の人の中へ確実に残し、繋げていきます。

 

これら全てが生命体の本能の流れの中にあるのです。

人間が生まれてきて、知らなければならないこと、その壮大なシナリオについて、いよいよ今度のトークでお話出来るのではないか、と感じています。

 

母川回帰。

この言葉は何処までも深く、生命の有り様を示しています。

 

夏真っ盛りの志摩で。


f:id:skmskm77:20190729231830j:image