母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

急がば回れ

何度も書いてきたことだけど、何度でも書いて行こうと思うこと。

やっぱり、誰かは本気にならないと。

ちゃんと怒らないと。ちゃんと立ち向かわないと。

こんな世の中で良いはずが無いし、滅び行く世界にただただ指をくわえて見ているだけで、それで良しとは出来ない。例え結果は同じでも、やれることはやり切らないと。

 

戦略的にかなり大胆な動き方をしてきたこともある。

でもでも、実は相当慎重に進めてきた。

ほんの少しの違いが、大きな違いとなるから。

 

目先の欲に目が眩んで、コケて行く人達が沢山いたな、と今でも思う。

そこで飛びついたら、後はないのに、と残念な思いで見てきた。

 

ようやく形になったもの、未だに実現しないもの、色々あるけれど、ここまでの流れで、全て韻を踏んで来たからこそ、崩れない土壌が出来たのだ、と言うことは強調したい。

無理して強引に実現したものは、やがて綻びが出てくるものだから。

 

やるべきことを知ること、そして、やるべきでないことを自覚すること、更に時を見極めること。

今なのか、今ではないのか。

 

力技は通用しない。

 

文化を刻む。それが大切だ。

 

思えば、友人や先輩にはかなり名のある方々がいる。

何も出来ないが名前くらいなら貸せます、と言って下さる方もいる。

でも、それはやらなかった。

何故かというと、2つ理由がある。

1つはシンプルに、相手に失礼だと思うから。どんな理由をつけようと、立場ある人間の名前や権力やお金を利用してはいけない、と思うから。せっかく出会えて信頼し合えた人達を、僕は裏切りたくはない。

相手がそう思うかどうかに関わりなく。

そしてもう1つは、こっちの方が肝心なのだが、強い宣伝力とかお金やメディアを動かして、人の注目が集まるのは当たり前で、本当のところ現状の人々の心に届いているのか分からない。人の心に響く、と言うことが必要なことのバロメーター。そのバロメーターが機能しないで現状に見合わない人が集まってしまったとき、後々どうなるのか、と言うことだ。

 

お金とメディアを使って国が広めるブームが、そんなに長く続かないで、終わった後の廃墟は多くの人が目にしている事実だ。

理解が着いてきているのか、今本当に求められているのか、地道に、時にはひたすら待たなければならない。残念ながら自分の生きている間にはここまでは来ないだろうな、と言う幾つものこともある。

だからこそ、形に残し、何処を目指しているのか、後の世の人たちに伝わるものを。

 

これも前にも書いたけど、今ど真ん中でうけるものは1番最初に落ちて行くもの。旬を過ぎたもの。

100年後に残るものを、とやや過激に書いたが、その気持ちは活動の最初の頃からある。

100年後、今あるほとんどの団体の動きは振り返ってまるで響かないだろう。それも確かな事実だ。

 

新しい動きを始める時は、無理解に晒され、足を引っ張られる。前もそうだった。今もそうだ。

 

僕自身が自分の1番の快挙だったと思うことは、何かあると直感して、この道に賭けてみたこと。

何でもそうだけど、2番手、3番手は楽なもの。

リスクが違い過ぎるから。

開拓して行くことは過酷なことだ。

ジャンルとして確立出来るのか。仕事に出来るのか。

周囲に納得が得られるのか。全て一からだ。

誰も答えを持っていない。証明出来なければ一歩も前へ進めない。

 

今回始めた母川回帰シリーズと言う企画。これも今までにない新しい形のトークスタイルだ。

いつかは真意が伝わると思っている。

 

このまま終わってはいけない。未来の人類のためにも残して行くべき事がある。

挑戦は続く。


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