許し合う力
今日は移動時間が長いので記事を多めに上げます。
名古屋でバスを降り、近鉄に乗りました。
トークのテーマでもあった「人はハッピーになる責任がある」と言うことば、難しい現場を前に、難しい人生を前にするほど、この気持ちを持って行くことが大切だな、と思う。ある意味で、生きる覚悟ですね。
人は人に影響を与える存在。
居るだけでも影響を与えるし、与え合っている存在。
だからこそ、人が生きることで出来る最大のことは、人に良い影響を与えること。
この前も書きましたが、過ぎてしまった時間はもうしょうがないです。
日々の積み重ねを、甘く見ないことが何より大切です。僕が見て来た中でも数名の作家は取り返しのつかないほど、心に傷を負ってしまっています。
こうなる前に、何度も何度も、僕は注意を促して来ています。出来ないことばかりでは無かったはずです。
声をかけてはっとする保護者の方も多いです。
何故分かったのですか、と驚く方もいます。
ことを重く見ない方もいます。
「無理させてはいない」「この子は大丈夫です」と。
でも僕は今目の前で起きている事実を語っているのです。絵は、制作は嘘をつきません。その人の心が直に伝わって来ます。こちらは全力で向き合っています。
どうかご家庭でも日々の中でくみ取ってあげて下さい。そのことが将来、その人をどれだけ助けてくれることか。
環境と日々見ている世界。
それがその人の無意識となって行きます。
その無意識がどんな景色で出来ているのか、それがその人を決定づけます。このことは一般の人達も同じ。
良いものも悪いものも、時間をかけてその人の元へ入り、その人を動機付け、その人を作って行きます。
この話はまたトークの際に。
最近も色んな話題が耳に入って来ます。
確かに社会の不寛容、理解のなさ、偏見、と言ったものは大きな問題です。戦う必要は確実にあります。
でも権利だけ主張してても変わりません。
自ら働きかけ、良い影響を残して行くことが大切です。昔、まだこの仕事をする前のことです。障害を持つ人達とは友達のように、と言うよりは完全に友達として付き合っていました。今とは違って一緒に色んなことをしたし、色んな場所に出掛けて行きましたね。
公共の場所とか、ここは多分難しいかも、と言う場所へもあえて行きました。障害を持つ人といると、差別的な目で見られたり、うるさい、と言われたり、出ていけ、と言わんばかりの眼差しを送られることも多くありました。そんな時、僕は良くその人達に話しかけたり、笑わせたり、障害のある人と上手く接触させたりしました。偏見に満ちた人ほど心を開くと優しかったです。関わる人間のこうした繋ぐ工夫によって、一般の人達との接触の仕方も変わります。
ただ偏見を持つ人間が悪い、と言って受け入れて貰う権利があるのだから、と言って、相手を攻撃しているだけでは何も変わりません。
人がマイナスなものを発しているなら、こちらは少しでもプラスなものを出して、それだけでは変えられなくても、一歩でも笑い合える状況を、僕は創りたいと思っていました。
それはこの仕事を始めてからも、ずっと同じです。
人は本来、本能的には繋がろうと、笑おうとしているのです。