母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

改めて、制作環境について。

もう何度も書いて来た。

これも当たり前の話だし、繰り返したくない。

でも今でも、曖昧になっていたり、

いい加減な認識の人達がいる。

 

それにこれだけ騒がしく、

色んなことが語られるようになったのに、

未だに誰一人、話題に出さない。

 

世に言う障害者アートだとか、

アウトサイダー、あるいはアールブリュット、

他にも様々な名前で呼ばれるジャンルがある。

それらについても、もう何度も書いて来た。

あまりに見ている地点が違い過ぎて、

もう語ることはない。

 

積極的に情報を入れるわけではないのに、

僕のところには自然に情報が入ってくる。

話に来る人が沢山居るから。

 

これだけ様々な試みが騒がしくなっていながら、

制作環境について、全く議論されていないのは、

危なっかしくて見ていられない。

 

嘗て、精神障害を持つ人達の作品が中心だったころ、

その作品の殆どは、制作者の意図以外入らない、

一人だけの環境で描かれていた。

それも過去の作品が多く扱われていたから、

まだまだこう言う議論も必要性が低かった。

厳密には様々なケースがあって、

この時点で本来なら議論されるべきことは、

本当に多くあったのだけど。

 

でも、現在は知的障害を持つ作家達が、

描いた作品が多く扱われている。

ここで大事なことは、

彼らの多くが、何らかの用意された環境で、

誰かの見守る中で制作している、

と言う事実。

そして、彼らは環境や人に、

影響を受けやすい存在だということ。

 

ここでは特にダウン症の人達のこと、

を中心に考えている。

 

外に出る作品を見て、

それらのものが本当に相応しい環境で、

描かれたものなのか、疑問を抱かざるを得ない。

 

制作環境が大切にされていなければ、

結局は枯れていくし、

心の活力が失われて行く。

このことを軽くみてはならない。

 

一人の人間の命を見つめる行為なのだから。

 

もう一つ。こちらはそこまで危険ではないけど。

個人で描く作家で、外で紹介される作品を見ると、

精神的に調子が良くない時に、

出やすい作品の傾向が伺えるものが多いことも、

あえて指摘しておきたい。

これは勿論、個人が描き、発表することを、

否定しているのでは全くない。

 

ただ、そこで心を拾い取れ、

響き合える存在がもしいたなら、

作品ばかりで無く、作家の幸せと健康に、

より多くの可能性が生まれる、と言うこと。

 

作家達が本来のリズムで、心の充実の中で、

描かれたとき、

彼らの本当の素晴らしさを、

見る人に知って貰うことが出来る。

 

現在のように、描かれる環境も、

寄り添う人間も問われず、

ただ描かせれば良い、と言う流れは、

作家達を傷つけ、萎えさせて行く危険性がある。

 

このことだけは責任上、書く必要を感じた次第。

 

補足だけど、

時々質問があるので書きます。

そのような環境を周りが整えなければならないなら、それは芸術とは呼べないのではないか、と言う問いがあります。これについては、まずは、ではその芸術とは何を意味するのか、とか、本当にオリジナルなものがあり得るのか、とか根本的に問い直す必要があります。僕なりに答えはあります。いつかその辺りまで議論が進むことを願っています。


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