母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

無い、と言うことの価値

繰り返し書いてきたことだけど、

この時代、どんどんどんどん危機へと向かっている。

 

特に未来の子供たちに、

このままでは本当に申し訳ない。

 

人とお会いしていて、これまでだったら、障害のことや、子供や老人や、様々な追いやられている人たちのことを、行き場のない人達のことを、どこまでも考えてきたけど、今は一般の人達がもうそこまで追いやられてきている、と強く感じる。

ごく一部の人を除いて、殆どの人達がこの閉塞感と危機を共有してしまっているのではないだろうか。

 

行き詰まったなら、やり方を変えた方が良い。これまであった世界を絶対視する事はない。

 

ダウン症の人たちとずっと歩いてきて、思うところがある。彼らから学ぶことが出来る、と思っている。

とくに今のような世界に必要なことが、ここには沢山ある。確かに今の世界では彼らは困難を強いられ、1人で生きていくことは難しい。でもだからと言って、単に社会に合わせて生きるだけが答えではない。その社会自体に問いが投げかけられているのだから。

これまで無価値に思われていたものにこそ、真の価値があるかも知れない、と言うことを少しづつ気づき始めている人達がいる。

 

考えろ、とよく考えろ、と僕達は教わってきた。けれども、作家達の制作を見ていていつも感じるのは、思考は脆いもの、弱いものだと言うこと。如何に考えないで動けるか、これが本当は大切だと言うこと。

思考より感覚の方が遙かに賢い。

 

持つこと、所有すること、沢山手にすること、人よりもより多く。経験も知識も人も、多ければ多いほどプラスだと言う考え。人よりも多く手にするために、人は奪い合う。

 

増やして増やして、そうして結局どれだけ集めても満たされないどころか不安を作るだけ。

人を幸せにしないものなら、地位も名誉もお金も、健康や長生きだって何の意味があるのだろう。

 

持つことなく充実していられる人たちがいる。

そう言う在り方に教えられることがあるはずだ。

 

これは一例だけど、今の人達が本当の意味で求めていることは、無いこと、やらないこと、得ないこと、その空っぽの場所にある満たされた感覚。

ある世界で疲れ果てて、無い世界へ戻りたいと多くの人があがいている。誰も居ない場所や、何も無い場所を求めて、向かって行く人達や、心の安定を求めて瞑想のようなことをする人達。

でも、それはあるものの中で、そのまま付け足せるものではない。本当に変わりたかったら、今の在り方を見直し、少しづつでも他の在り方に耳をかたむける、と言う地道で謙虚な進め方をしなければ。

 

無いことは、とても素晴らしい価値だ。

その充実感、幸福感は人を変える。

そしてそんな時、欠落を満たそうとして生まれた行為ではなく、本当の創造性が、内面から溢れ出てくる。

それは自分も周囲の人も包む大きな愛情となる。

 

本来、人はもっと満ち足りて、気持ち良く楽しく、人と響き合える存在。

まずはそんな可能性を感じてみよう。

ダウン症の人たちの姿や、作品に、そう言う可能性を直感する人達は増えている。

僕が色んな場所でお話するとき、切実な想いをもって耳をかたむける人達も多く居る。

シフトしていくには当然、時間はかかるけれど、少しづつ、同じように感じている人達が増えていることは、やはり変化の兆しだと感じている。


f:id:skmskm77:20180509160958j:image