母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

愛について

東京は昨日に続いて雨。

明日からゴールデンウィークですね。

平成もあと数日となりました。

 

そして、明日4月27日は恩師宮嶋慎一郎先生の命日。

前にも書いたけど、宮嶋先生などと呼んだことは一度も無かった。親方と呼ぶように、と僕らは言われていたから。だからこれからも親方と呼ぶ。

 

昨日、親方のお墓参りに行って来た。

と言うより連れて行って貰った。

自分だけではお墓参りと言う発想にはならなかっただろうから、お誘いに感謝だ。

親方はクリスチャンだったので、お墓参りと言うのはどうなのか、とも思うけど、でもきっと喜んでくれたに違いない。

 

実はこの記事も昨夜書こうと思って、少しは書いていたのだけど、改めて語ると認知されていない親方の功績は大きくて、そんな話を残しておかなければ、と変な責任感にかられてしまう。でも、今日はそこは書かないことにする。

讃えられて喜ぶ人ではなかった。

偉くなること、有名になることを避けていた。

あのマザーテレサも一目置いた存在だったのに。

 

親方のお墓の前に立ったら、本当に再会したような気持ちになった。何度も何度も親方の手を引いて歩いたから、手の感触や動くリズムが蘇る。今もそこに居るように。もし親方と出会っていなかったら、と今でも思う。何も持っていなかった。誰も居なかった。16の時に親方に会った。教えてくれたこと、一緒にいてくれたこと、心も時間も惜しみなく使ってくれたこと。

 

あの時から全てが始まった。

親方のお墓に刻まれていた言葉。

「愛は長久までも絶ゆることなし」

 

愛って何だろう。愛と言う言葉は時に胡散臭い。

あるいは抽象的すぎて何だか分からない。

でも本当の愛と言うものが存在する。

愛情は注意力だ、と時々僕は言ってきた。

相手の心身の動きに注意力を注ぐ。相手をどこまでも感じようとする。そうすると、伝わり、そして繋がる瞬間がある。

 

親方から学んだことを、言葉にしたことはない。

もっともっと大事なことだから。

それでももう一週回って、こう言うことだって出来る。僕は親方から愛を学んだ、と。

それは仕事だけではなく、全ての元にあるもの。

 

愛が何故、奇麗事のようになってしまうか、胡散臭いものになってしまうか、と言ったら、目の前の個別の事柄や一人の人間を離れてしまって、理念とか理想とか、頭の世界に入ってしまうから。

親方の言う愛はそうでは無かった。

絶えず、そこには受け入れない人、伝わらない人、その外に出て行こうとする人がいて、その人たちを無視しなかった。一人の人間の個性に向き合っていた。

どれだけ人が居ても、たった一人の人間に直接向き合っていた。もちろん僕に対しても。

 

福祉や教育の視点に一番欠けているのはそこだ。

固有性を真っ直ぐ見て、まず認めること。

 

おそらく親方の言葉の中でも一番大事なのが、

 

「あなたという人は地球始まって以来、絶対いなかったはずです。あなたという人は地球が滅びるまで出てこないはずなんです。わたくしはそう思っています。」

 

一つになろう、共に生きよう、協力し合おう、とあれだけ言ってきた人が、そのためにあれだけ努力してきた人が、一方で人は個である、と言うことの素晴らしさをここまで強調している。

平等と言う名の下に違いを受け入れない、知ろうとしない現代の社会において、真の共存とは何か問いかけるメッセージだ。

 

愛ってなんだろう。

人を認める。愛するってなんだろう。

人間が本当に愛されている、認められている、と感じる時ってどんな時だろう。

あなたは他の誰でもない、あなたそのものであって、他には決して居ない存在である、と言うところを見た時。そこをこそ見ることが大切。あなたはかけがえのない存在である、と言うことを一緒に感じよう。

それが親方の一番言いたかったこと、したかったことなのだと思う。

 

親方とはぜんぜん違うアプローチになったけれど、芯のところで共有していること、教えてもらったことはそこなのだろう。

 

書きながら、生意気な書き方だとは思う。もっと足元にも及ばないみたいなこと言った方が良いのだろうが、それをやらないところを褒めてくれたのが親方だったから。親方に遠慮したことはなかった。思ったことは何でも言った。そうさせてくれた。

誰もそこまでしてくれる人はいない。感謝に絶えない。

 

ある時、学舎を離れたいと僕が言うと、わしは君と一緒に暮らしたいのじゃ、と本気で言ってくれた。なぜ?と聞いたとき、こう言ってくれたのだった。

それは今でも鮮明に覚えている。

 

「わしは佐久間寛厚と言う人間に興味がある。それは決して悪い興味じゃないぞ。」

 

あの頃一緒に居た人たちを忘れない。

かけがえのない日々だった。宝物のような時間。

あの時間が今でもすぐそこにあって、直ぐに行ける気がしてしまう。

もうこの世に居ない、親方、片山さん、やまぎしさん、ノブちゃん、たくみさん、。

みんな一緒だったね。いや今でも変わらないね。

ありがとう、みんな。合掌。


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