母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

もう一つ

授かったミッションと、そして自らの人生の中で、

今新たなステージに入った。

 

前回、前々回の記事でそのことについて語った。

一つ書き残したことがある。

ありがとうを言わなければ。

 

必要なことでも誰も気づいていないことがある。

無いことになっている世界がある。

それをあると言い切ってそこへ賭けた。

僕自身、自分への最大の評価はそこにある。

勝ち目の無い相手を向こうに回してでも、

大勢に背を向けてでも、賭けて挑みたい対象があった。たった1人で。孤独に耐えて。

でも、そうでは無い。

 

そんな僕を信じてくれた人達がいた。

いや、一緒に歩んでくれた人達と言って良い。

その人達が居なければ、何も出来なかっただろう。

 

愛された記憶、をテーマに以前書いた。

支えてくれるものについて。

これは人間にとって途轍もなく大きなテーマだ。

 

昨今は自己肯定感と言う言葉で色々言われる。

これは本当はもっともっと深いことで、そんな安直な言い方では伝えられないこと。

いずれ、と言うか、近い内にこのテーマはまた語ることになるでしょう。

 

自分とは、自分に何かを見てくれた人達の想いの集成に他ならない。

 

感謝を忘れては人はお終いだ。

残念なことに偉くなってしまった人達も多い。

先輩であったり、仲間であったり、育てて来た子達であったり、外で偉そうな態度で振る舞っているのを見る時ほど悲しいことは無い。

 

特にまだ何者にもなれていなかったあの頃、

僕と言う人間に何かを感じてくれた人達。

やろうとしていることの価値を認めてくれた人達。

感謝してもしきれない。

その人達との約束を果たすために、これまでやって来た。10代で出会った禅寺の老師。信州共働学舎の宮嶋慎一郎先生とあの頃そこにいたみんな。先輩たち。あの頃、実習生として来ていた人達が、僕の場のルーツでもある。同じ景色を見て、いつの日にか、この世界が価値として必要とする人が出てくると、一緒に信じてくれた人達。

 

東京に出て来てから、佐久間は世に出るべき人間だ、と言う言葉を下さった方。名前は出せませんが。

その他、名前を上げられない多くの方々。

 

忘れられない時間。

中沢新一さん、北村皆雄さん、安藤眞規子さん、中原淳行さん、、、。

 

僕がそれなりの仕事を確立した後に出会った、それぞれの道の達人と呼べる方々から頂いた、有難いお言葉。珈琲職人、鮨職人、古道具屋、整体師、各ジャンルでたった1人しか居ない方々。

 

本物に愛され、それであっている、と言われたのだから百人力と言うもの。

くそ真面目に、ストイックに貫いて来て、ここまでむくわれるのかと、人生の幸せを噛みしめた時。

 

前にも書いたけれど、僕はラッキーな人間。

 

そして、人間の心とか、場と呼ぶものへの、このようなアプローチがある、と言うことを沢山の人に認めて貰えたのだし、影響を受けたり、役立ててくれている人達もこれだけ居ると言う事実。

 

感謝。

 

そして、何処までも行こうと、

新たなステージに突入した今、再び、あの頃のような勢いを持って進みたい。

28年、場と歩んで来た今。


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