母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

東京での20年。
命懸けだった。自分の全てだった。
守るためには、多くのものを諦め、犠牲にしてきた。背負っていたものの大きさは計り知れない。最後に一つだけ我が儘を。暫くで良いです。安易な言葉を掛けないで下さい。って言うのも夢がないかな。ごめんなさい。

金沢での話をもう一つ。ずっとあの土地で暮らしていたら、どうなったかな、と少しだけ思ってみた。もちろん、そんな選択肢はなかったのだけど。何もかもが変わってしまった中で、あれ、まだ残っている、と驚いたのがたこ焼き屋の「島」だった。外観も店名もオーナーも変わったけど、あの場所にたこ焼き屋がある、と言うだけでグッとくるものがあった。それくらい「島」は特別な場所。不思議な場所だった。あの辺りで人が集まる唯一の場所だったのもあるけど、あの小さな店にいつも人はぎゅうぎゅうだった。今となってはあり得ない価格設定で、本当に安かった。だからいかがわしい人達がたまり場にしていた。それなのに普通に子供達もいたり。誰もが居られる場所だった。世代が違っても昔話になると「島」の話が出てくることがある。「島」と言う店の名前を出しただけで、僕らが共有出来るイメージは、この土地で育った人間にしか分からない。でも、普遍的なこと。人は居場所が必要だし、何でも無い時間や、役に立たない会話や、外では交わることのない人達との交流や、特別なものがないと言う特別を、何処かで見つけたいとおもっている。この時代においてそれがどんな仕組みの、どんな場所になるのか分からないけど、いつか「島」みたいな場を創れたら良いのかも知れない。新しくオープンした店の名前は「角の店」だったかな。まだ入ったことはない。今度金沢に行ったら、一番行きたい店。って絶対それほどのものじゃないけどね。

 


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