母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

ルール

さて、今日は本当に久しぶりの制作。

 

ところでこう言う時に、当たり前のようにマスクして下さい、と言うルールができる。

今アトリエのメンバーを見ていると、大丈夫な人達だけど、僕がこれまで関わって来た現場には、様々な人達がいた。

 

無いことに出来ない、無視できない問題がある。社会のルールはいつでも人間が一種類と言う前提で出来ている。そのことに気づかない人が多い。文字が読めない人がこの世界にどれほどいるか、殆どの人は日常的に考えたりしない。多数派の意見が支配するみたいに言われることもあるけど、いや、違う。世の中で少数派と言われている人達を、単純に数で数えたら、これかなり多数派なんだけど。

 

マスク問題でも全く語られていないこと。

それはマスクをしましょう、と言って出来ない人達がこの世界には沢山いる、と言うことだ。今そう言う人達はどんな風に過ごしているのだろう。

 

具体的にこれは分かりやすい例だけど、こんなケースが無限にあるのがこの世界。

 

それぞれに必要な対応を工夫することこそ、思いやりと言うもの。

見えない人も、聞こえない人も、歩けない人も、接触出来ない人も、時間の連続性が存在しない人も、世界が断片で見えて居る人も、逆に世界が渾然一体となっていて、そこから何かを切り離して見ることが出来ない人も、言語を通して何かを理解出来ない人も、逆に言語を通してしか理解出来ない人も、この世界にはいる。無数の小さな世界が存在している。

 

みんなのためにこうしましょう。こう言うルールにしましょう、と言うのは良いけど、そのルールを認識出来ない人達も沢山居ることは無視してはいけない。

共有出来る人達のためのルールを作るなら、共有出来ない人達にはどんな対応をすべきかも同時に考えなければならない。

 

身体接触無しで物事を理解出来ない人も、この世界にはいる。身体接触が取れない人もいる。本来なら、そう言う諸々の状況プラス、例えばウイルス対策なり、セキュリティなり、様々な身体的なことや、社会的なことへの対策を整えて行かなければならない。

 

それぞれが現場で心と身体を使って判断している経験や知識なしで、この世の中は回らない。現場の声が上がって来ないけど、こうした埋もれた問題が今様々な場所で起きているはず。

 

僕たちの場所はまだ対応出来るけれど、そうじゃない場所は沢山あるし、その場所がなければ社会が成り立たない、と言う場所だってある。

 

ルールを通達しただけで、みんなが守る、守れる、と考えて、守れない(認識出来ない、理解出来ない、も含む)人達が批判されたり、無視されるけれど、戦争を止めましょうと言うたったそれだけのことさえ守れない人達が一体何を言っているのだろう。

 

と言う問題提起を、見て来た人間の責任として出しておいて、僕は世界一平和な現場で、今日もみんなと答えを出します。

 

世界に笑顔が溢れますように。


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