評価について
ところで、感じている人は多いみたいだけど、本当にFacebookがつまらなくなりましたね。僕の周りでも止めて行く人が多いし、投稿も随分減りました。
僕が始めたのは大分遅かったから、良い時期もあまり知りませんが。
ただ、最近はもう何にも無い感じですね。
出会って話す人達もFacebookは嫌いとか、やっていない、と言う人の方が最近は多いです。僕も止めようかな、とか時々思いますが、まあ、今くらいの軽いノリで、、。
それも含めて、時代は早いですね。
どんどん形は変わります。
評価も変わる。
相変わらず無理解に曝されているとは感じています。
それでも、有り難い限りだけど、本物の理解と真の支持も受けています。
応援してくれる人達も多くいます。
全く新しいことを期待してくれる人達も。
かつての職場で僕が勝手に始めていたことを、しっかりとジャンルを確立して、評価を貰うべきこと、と強く主張し、そのための歩みを後押ししてくれた人達がいます。
その頃はまだ、評価なんて、と言う想いがありました。師の思想の影響だったと思います。
今も先走り過ぎるきらいはありながらも、一定の評価は着いて来てくれている。
やっぱり思う。
評価に値することなら、評価されるべきです。そうでなければ責任も育たない。
評価されると言うことは、問われると言うことでもあるから。
もっと高く評価されるべきこともあるし、そこは更に責任も強く必要になってくる。
有り難いことに価値を共有してくれる人達がいる。だから、これだけは見て欲しいと言う景色を必ずみんなに見せる。その場所まで、必ず連れて行きます。
あえてですよ。こんな言い方をしたのは。
まだまだ行きます。