言い残すこと
昨日の土曜日クラスも迸るような、
素晴らしい一時。
とてもとても良い場だった。
さて、今日のブログのテーマですが、ふとこれは言い残しておかなければ、と感じたことです。ずっと胸に秘めてきたことかも知れない。まあ、時には少し漏れていたけど。
またしても母川回帰シリーズに繋がる話。
誤解を恐れずに言うなら、これ遺言なのです。どうしても言い残しておかなければならないことだから。
そして、それは書籍や文章では伝わらないもの。昔の人が口伝を重んじた訳が良く分かってきた。直に人から人へ。情報量も圧倒的に違う。
例えばこう言うことです。
ちょっとだけお付き合い下さい。
昨日の場でも、数名の作家は心に累積した負の要素によって、危ない状況の人、やや危ない人、、そんな中で2時間でみんな流れを変え、元気を取り戻して帰っている。
ほんの一瞬の動きがズレたら、こうはなっていない。リズムや間合い、言葉と沈黙の置き方、注意力の向け方とその方向。
一歩外せば成立しない。
使うエネルギーもなみのものではない。
こんな現場は誰にも出来ないし、出来たとしても倒れるだろう。
しかも、誰にも気づかれてはならない。何事もないような自然なリラックスした流れの中で行われる。
さて、ここからが本題。
こんなことが出来なければ、人は幸せになれないのでしょうか?
全くそんなことはないのです。
佐久間の場は正直、僕が死ねば終わり。
技術の継承も不可能なこと。
でも、それは必要ではない、と、必要でなくならないといけないと思っている。
かつては過酷な極限のような状況で、対処してきたけれど、簡単に言うなら、まず何より、そんな状況に人が追いやられないようにすること、それこそが必要なことだ。
一人一人のことも同じ。
佐久間が場に立つ以上は出来る限りのことはするけど、調子を崩しているのは日頃の累積だから、本来はここだけで何とか出来ることではない。
東京アトリエも、僕が居ない時はとにかく、みんなの笑顔だけをバロメーターにして、とスタッフに伝えてある。たった2時間で出来ることは限られている。
点を打つこと、きっかけになること、それが僕らの仕事だ。
今僕が外でお話する目的の大きな一つは、
場は僕が居なくなれば、このレベルでは不可能だからだ。しかし、場はきっかけに過ぎない。もっと大事なこと、さらにもっと有効なことがある。
流れの外に出てしまっているのを、僕は流れの中へ戻す。だけど、それはある意味で応急処置だ。初めから流れの外へ出なければ、何の問題もない。
病気になって治すのではなく、日頃からメンテナンスして健康でいること。
これまで僕は場において、生命の流れ、生命の本流と言うものが、一人一人に、その人の流れとして存在していることを知った。
そして、多くの人がその流れから逸れてしまっていることで生命力を失っていた。
場はその流れに戻すこと。
ただこれには特種な能力と、特別な背景が必要だし、出来る人の負担も大きい。
生命の本流と言うものの仕組みを知ることの方がはるかに有効だ。
そうすれば一人一人が自分で出来ることが、或いはもっと多くの人達が出来ることが沢山あると分かってくる。
母川回帰シリーズ、それから外部でのトークや講演で僕がお話していることは、人間のベースをしっかり創って行くこと。心の栄養を特に小さい頃からつけていくこと。
これが出来てくれば、佐久間のような仕事は要らなくなるだろう。
きっといつかはそこまで辿り着く。
目先のことだけ考えていても、本当の解決には繋がらない。
僕が見てきて、試して、はっきり証明してきたこと、その仕組みを皆さんと共有出来たら、もっと良く生きられるし、もっと楽しくなるし、もっと人を笑顔に、幸せにすることも出来る。
こんな世の中を何とかしなければならない。
でも、社会も世界も、たった一人の人間から始まる。僕らは一人の人間が変わることを何よりも重要だと考える。
まず一人が幸せになる。
母川回帰シリーズはそれをテーマにしている。