ある証言
誰一人、無理していない。
剥き出しな位に自然で輝いていた。
一人一人が肌で感じ合っていた。
そこに居る全員が、全く違う、誰とも似ていない存在として、何かと合わせようともせず。みんなが笑っていた。
ここに居られて、この世界で、そして、みんなが居てくれて、本当に幸せだと。
みんながそう感じていることを、みんなが気づいていた。
みんな話しているのに、誰一人、言葉にしないこと、言葉にならないことがあった。
僕らは一人一人全く違っていて、それなのにこんなに一つだ。
数人の人は目に涙を浮かべていた。
嗚咽を上げた人もいた。
笑い合った。
今ここにあるもの、それそのものが答えなのだ、とその時、確信した。
僕らはこれを見るために産まれてきて、これを見るためにこそ生きている。
僕はそれを「場」と名付けた。
この光景は偶然生まれたものではない。
そこに至るためにどんな手順を踏む必要があるのか、徹底的に追求してきた。
場の基本、場のセオリー。
僕はそれらを全て実践で試して、証明してきた。だからこそ、みんなとこんな情景を何度も見ることが出来た。
それが僕の言う「場」だ。
障害を持つ人達との出会いから、この道に入った。小さな頃から試練続き、劣悪な環境、逆境続きだったけど、正直なところ何とも思わなかった。その頃は実は痛くも痒くも無かった。必死だったからかも知れないけれど。
そんな僕が16才で出会った人達は、桁が違っていた。自分なんかでは太刀打ち出来ない程のものを背負って生きていた。衝撃を受けた。と、同時に何としてでも彼らの懐に入りたいと思った。彼らによそ者ではなく、真の仲間として認識して貰いたいと思った。
そのためにはどんなことだってやってきた。
頭を壁に打ち付ける人がいたら、全く同じような振る舞いを一緒にした。もちろん手加減無し。
自分の身に何が降りかかろうと平気だった。跳ね返してやる。って。いつでもそうしてきた。でも、跳ね返す力だって生まれつき持っていない人達と出会って、僕ははじめて挫折した。多分、数秒間だけ。初めて悔しいと思った。その人達の素晴らしさを知ったから、世間とのギャップの大きさに、いつも怒っていた。それ以来、僕は怒る存在となった。
障害の問題だけではぜんぜんない。
出来る人間と、出来ない人間、能力、偉いかどうか、優れているか、劣っているか、、誰が何の基準でジャッジしているのか。今でもそれは続いている。誰かがそこに居て不均衡を生み出すなら、それは一人の問題ではない。感じ取るセンスが、その場所で全員に問われているだけ。それを棚に上げたものが、社会における差別や偏見だ。
そんなことすら感じ取れない、考えられない人間がこの世には満ちている。
生きるな、とさえ言われた人達がいた。
死にしか答えを見出せない人たちがいた。
それから、全く違う認知の仕組みを生きている人達もいた。
出会った人達は僕に教えてくれた。
こんな世界があるよ、ここから見たら、こんな風に見えるよ。
一歩外へ出ると、そんなものは存在しないと、人は言った。
世界は一つしかない。人間は一種類だけ。みんな同じになれ。みんな努力してここに来い。来られない人達のことは知らない。と。
存在しないことになっている人達がいた。
生を踏みにじられ続けている人達が。
でも、場は全てを覆す。
世界は幾つでもある。人は輝く。無限の可能性を持つ、と。
出会った沢山の人達が、産まれてきて良かったと、生きていて良かったと、感じてくれた。例え一時であっても、それがきっかけとなる。誰も見たことの無い、その人の本質が立ち上がり、自発的創造性が動き出す。
幸せであること、幸せになることが答えだ。
場は人を幸せにする。
認めない人、目を背ける人、数字が全てだと言い張る人達。いいよ。それで。
でもね、こっちにはこんなに豊かな世界がある。人の心の奥にあるこの世界は、誰が何と言おうと、場の中で見て貰う。
認めない人達。無かったことにする人達。
あの頃は場を伝える術は無かった。
見て、体験して貰う人達から、少しづつ共感者は増えた。あれから25年ほど経つ。
その間に場を経験し、変わった人達がいる。
そこから生命力を得た人達がいる。
その数は決して少なくはない。
確かなリアリティと実感を持って、僕の言う場を理解している人達も沢山いる。
僕らには場がある。
いつでもそこに。揺らぐことなく。
これからも圧倒的大勢には認知されないだろう。だけど、だからどうした、なのだ。
人それぞれの場所で生きれば良い。
僕らはこの生で、輝く宝物を知っている。
人間の凄さ、素晴らしさを、その奥底の本質を見ることが出来る。その術も持っている。
人生、最後は幸せになった人の勝ちだ。
誰が何と言おうとね。
場は確かに存在し、人の内面には、まだまだ未知の力が潜んでいる。人はもっと輝く。
今より先へ行くことができる。
見た人達、体験した人達が証明している。
25年経って、今僕は言う事が出来る。
ほらね、あったでしょ。って。