母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

場のレシピ

全ての答えは場にあり、僕の場は東京アトリエだった。

答えて来たし、証明してきた。

 

制作の場に関わるような仕事をしたい、と言う人や既にやっている人達からの視察や見学も数多く受けて来た。

 

場のレシピは一部の人には公開している。

これからは体験して頂くことは難しくなるから、どうなっていくのか、まだ分からない。

何か伝えて行くかも知れない。

 

今年は特に個人レッスンのような形で、制作の場を用意し、対応してきた。

1人の作家と場を共にすることは、とても大きなことだし、特に初めての場合、初見はその後を決定付けることでもあり、エネルギーを要すること。安請け合いは出来ない。

これまでは制限を強くしていたけれど、今後は自分が関われる場面も少なくなると思い、出来る限りのことをして行こうと、今年はなるべくお受けしてきた。

 

世の中ではワークショップのようなものも含めて、安易な考えでホイホイ関わる人達がいる。それを批判はしないけれど、僕自身は経験上、全く違う見解を持っている。

 

制作の場で向き合うことになるのは、その人の心の1番深くにあるもの、生命であり、魂そのもの。真剣勝負であるし、命懸けと言う自覚を持たければならない。

 

来客の方の多くが、ここは不思議ですね、何か良い雰囲気がします、神社に居るような神聖な感じがします、と言うように仰る。

この何か、何となく、と言うものには、実はしっかりとした裏付けがあり、良い意思が結集することで生まれている。

 

以前も志摩での合宿の際に、初めて参加した若者の1人がこう言った。何もしなくても、こんな良い人達が集まれば、もう自然に良くなりますよ、と。僕は即座にそれは違うと言った。1人1人の良くしようと言う意識がなければ良い場にはならない。奇蹟はまぐれでは無い。偶然の良さは勿論あるけれど、それは続くものではない。

 

東京アトリエで証明してきたものは大きい。厳しい中でも食いしばって続けてきたのは、必要性だけではなく、社会的と言うより世界的な責任感もあった。この場がなくなれば、他に何処があると言うのか、と言う。そんなもんじゃない、人間はもっと豊かで可能性に満ちている。それを証明出来る場所が残念ながら、外には存在していなかった。今見回しても、安直なものばかりだ。

 

今後、何処で誰がやってくれるのか、分からない。僕らも何とか次の形でやろうとするだろう。だから、もう1度、この認識を伝えたい。良いものには仕組みがある。厳粛な掟がある。必要な工程をふまえていなければ、やがては輝きは褪せる。

 

曖昧でいい加減な仕事が満ちあふれる世の中。人の魂を扱うような領域がそうであってはならない。

 

本物を残すために、これから場のレシピを語ろうと思っている。それは、どう生きるのか、と直結している。

せっかく生まれて来たのだから、愛を持って、良く生きよう。