母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

謙虚さを

実は先ほどほっとするご連絡があったので、

この空いた時間でブログをもう一つ。

 

ちょっと急を要するかな、と言う判断もあって、とは言え今出来ることはあまりない、と言うことで、お話だけでも聞きましょう、と言う流れだったのですが、先ほどご連絡があった。

 

お会いしたことのない方だったが、ご相談の内容は、長年通っていた作業所で暴力を振るってしまって首になってしまって、途方に暮れている、と言うのがメインの話。結果的にひとまずは行き先が見つかったそうだ。

 

まあ、何の解決にもなっていないのだけど、少しでも可能性は残ったし、まだ時間はありそうだ。

 

最近もこう言った相談は絶えない。

 

距離は配慮によって生まれる、と言う話を書いた。これは物理的な距離ばかりでなく精神的な距離も当然含む。

暴力と言うのは距離で言ったら、近づけ過ぎ、と言うことなのだが、何故、強引に近づけざるを得なくなってしまうのか、その背景を扱わなければ、何の解決にもならない。

恐れ、不安、孤独、と言った背景を。

 

マナーと言うのも距離です。電車で大股を広げている人とか、他の人のテリトリーを感じ取れない人達に何が起きているなか、ここを見て行かなければならない。

 

これは色んなところで書いたり、話したりしてきたけれど、自閉症スペクトラムの人でよくある一メートルくらいの距離に入ったら、痛い、と言う人がいる。もちろん、これだって間合いによって痛みを感じさせない近づき方もある。

今回のソーシャルディスタンスは2メートル。これを意識して行くと色々と変わって来るだろう。寧ろそう言うのを切っ掛けに、様々な距離を持った人達に配慮ある接し方を学べる可能性だってある。

ただ無意識の内に生まれる、人や世界に対する不信と恐れには気をつける必要はあるが。

 

これは分かり易い例だけど、他にも様々な距離と間合いが存在している。ある種の障害のある人達が公の場でパニックになっている時の多くが、距離、間合いの問題である場合がある。

 

距離だけではなく、注意力の向ける場所。世界の見え方、この世界は本当に様々な人達がいることを忘れてはならない。

距離が作られることによって、生きやすくなる人がいれば、必ず生き難くなる人もいる。

それは社会の縮図でもある。

一つの在り方だけで、社会をつくればそれ以外の人達にとっては、生きる場所が失われる。これが本来なら、マイノリティの問題の本質だ。誰かにとっての便利は、誰かにとっての不便であることを忘れてはならない。

 

多様性とはそう言うことで、人が絶えず、開いていて、感じようとしていなければ、言葉で綺麗なことを言っても成立しない。

今言ったような、綺麗なこと、奇麗事だってそうで、奇麗事が気持ち良い人も、気持ち悪い人もいる。

それは正しさと言うよりは、固有の感じ方であったりもする。様々な意見を尊重する、とは良く言われることだけど、それは上っ面な話で、意見とか、頭以前に、様々な見え方や様々な感じ方こそ尊重すべきこと。

 

距離、スピード、リズム、この多様な世界において、人を愛することは、感じることで表せられる。感じることは難しいことがも知れない。でも、何度も言ってきたように、感じようとするだけでも、配慮や敬意が伝わるはず。大切に思う気持ちは感覚を開く。

 

僕たちはこの世界で、この場所で、沢山のものに生かされてある。良く見ること。耳を澄ませて聴くこと。深く感じ取ること。

そうすればこの世界の豊かさに気がつく。

そうすれば、お互いを配慮する気持ちが強くなる。感じ合う世界。響き合う世界。

 

僕が言ってきた場のような世界。

 

この世界は大きいです。

謙虚に生きて行きましょう。