母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

祭りのあと

東京も随分変わってしまって、これから更にこの流れの中で沢山の終わりを見ることになるのだな、と実感する。そして、コロナが終息してももう前の世界には戻らない。薄々みんな気がついていることだけど。何人かの方に佐久間さんの予言が的中しましたね、とか言われたけれど、大きな動きとしては確かにそう。でも、こんな形になるなんて全く思っていなかった。小さな頃からお祭り騒ぎみたいなことが好きだったし、いつも目立っていた。十代の中盤からその血を封印して、裏へ裏へ回った。10年ほど前に人前に立つと言う流れがあって、その時は渋々だったけど受け入れた。200人位の人達の前で何度かお話して、緊張するくせに、本当はこう言う場所が好きなんだな、と昔の自分を思い出した。大勢に囲まれたり、みんなに見られたり、その緊張感の中で、何か大事にしているものを晒すことのスリルが、実はかなり好きなんだと思う。舞台に立つ、と言うことなのかも知れない。人数が多くなればなるほど、微妙な繊細な意識を共有することは難しい。心が通い合うことも難しい。でも、そこを突破する可能性に賭ける時に、何かそれ以上のことが起きる。昨年から小規模の集まり、密度の濃い繋がりを大切に、新たなスタイルでの会を開く方向へ。実感として、やっぱりこっちだよね、と思えたし、大切なことを共有するにはこのスタイルしかないな、とも思った。そうする内にコロナが始まり、ますます判断は正確だったなとか、こっちの流れにやっぱり来ているな、と感じている。それでも、もうあんな規模での何かを行うことが難しいのか、と思うと寂しくもある。昔のお祭りを思い出すみたいに。大舞台に立つことはもう無いのか、と思うと。現場においても、嘗ては過酷な現場で必要とされて、もうそう言う場面が無くなって行ったことにはほっとするけれど、それはそれでそう言う現場を知らない人達が、本当に育って行けるのか、まだまだ確信が持てない。いずれにせよ、時代は変わり、沢山の終わりがあり、消えたものはもう2度と戻っては来ない。そして、消え去ったものに価値がないどころか、寧ろ今はもう無くなってしまったものにこそ、本当に大切なものがあったりする。過去を決して忘れずに、未来に向けて、創り残して行く。これこからも。