母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

メモとして

今日はまた別の角度から書きます。普段はこう言う話はしないことにしています。ポジティブなメッセージを発信する事がまず1番大事ですから。ただ、これまで数限りなく飲み込み、我慢して来たこともあります。今の時代では否定されることですが、黙って耐えることが必須の仕事です。それが出来なければ全てがストップしますから。誤解を恐れず言えば、呑み込むこと、水に流すことが出来るようになることは人を大きくします。妥協との峻別は必要ですが。そんな訳で殆どのことはその場で水に流して、次に必要な動きを選択して行きます。ただ、仕事やスタイルも時代と共に変化して行くでしょうし、今後はこう言う生き方が変わって行くかも知れないので、考える題材として書いておこうかな、と。あえて言いますが、この仕事は簡単ではありません。かなりかなり厳しいものです。ひたすらエネルギーを注ぎ込み続けるだけの時、或いは瞬時の判断が命取りとなるような気の抜けない場面が連続することもあります。
良い流れ、良いテンションをキープする力と、マイナスな状態を底の方からグッと支え、無理なく引き上げる力。どんな時でもブレずに最善を尽くし続けられる冷静さも必須です。出口の見えない苦しい状況にいる人にとって、一言が或いはちょっとの動作が大きな違いを生みます。全ては現場に入って、その人の今を見て判断します。過去の情報はそれが直前のことであってさえ、参考程度にしかなりません。どこどこの〇〇先生がこう言っていました、と言われてもその場で見て違うことは直ぐ分かります。保護者の方の中には、へとへとになっている人を、無理はさせてません、この子の性格はこうだから大丈夫です、と言う方もいます。何度もそう言うことがありました。少し時間が経過して気持ちが病んでしまったケースは沢山あります。着きっきりで見て、一緒にぐっと乗り越えて笑顔が戻って、よし、良かったな、と終わって、保護者の方から心無い言葉を貰うことも度々。たまたま偶然、人が元気になることなんて無いのです。良い時もそうですね。作家達と一緒になって一つの場を創り上げています。その場への配慮は直接作家本人への態度なのです。ある時、作品を保護者の方に見せることを拒んだ作家もいました。何が大切にされるべきでしょうか。言うまでも無く、一人一人の命です。それぞれに配慮し合う時には、かけるべき言葉、態度や振る舞いに変化が生まれます。確かに外の世界では人同士が粗末に扱い合っています。でもここではどんな人も大切に扱う、触れる、感じ合う、と言うことを何よりも大切にしてきました。繊細な感性を研ぎ澄まして、感じ合ってやっているからこそ、気になる言葉や態度や振る舞いが見えます。一瞬だけ腹も立ちます。萎えます。傷つきます。でも、それは本当に一瞬。直ぐに水に流します。冒頭に戻りますが、何故呑み込むべきかと言ったら、やっぱりね、みんな気が抜ける瞬間があるし、そう言う風にしてしまう時がありますから。だから分かっています。失礼な言葉があったとして、その人もいつでもそう考えている訳ではなくて、ついその時、そう思ったり、言ってしまっただけです。そうやって受けて呑み込む、と言うことが必要です。受けたくないから、とそこそこの仕事にしてしまう、と言う選択肢もありますね。確かに。踏み込まなければ簡単です。ただ何となくその時間を過ごして貰うだけの場所にしてしまえば、スタッフだって何を言われようと、どんな態度をとられようと、こちらも何も深く考えていなければ、それまででノーダメージです。そして、多くの場所はそうやって成り立っています。この20年間、そう言う仕事をしなかった、と言うこと、一つ一つの現場を疎かにしなかったこと、いつも最善を尽くして、みんなの笑顔に繋げて来たこと、それが何よりの誇りです。