母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

心の栄養

東京アトリエでの制作の場の充実に、深く感謝している。参加者と応援して下さる方々の想いなくしては成立していない。何気ない日々の積み重ねを大切にし合える方達に感謝。

 

数名ではあるけれど、お休みや変更が目立つ方もいます。大切にする気持ちが響き合ってこそ、良いものが生まれる。作家たちのモチベーションはスタッフがしっかり見て引き出すことが大切な仕事。でも保護者の方々の心まで届かせるのは役割として難しい。ご協力を切に願うしかない。

 

久しぶりに少し書きます。

この件は書くべきか少し迷った。良いニュースなのだけど。だからこそ慎重になる部分でもある。

でも書こう。希望にも繋がることだから。そして関わる人達にとっても貴重なデータでもある。

回復してきた作家のこと。それを書くのに何故躊躇したのかと言ったら、良くなった、治った、と言う言葉は僕らの立場からは言うべきではないから。それはリスクを伴う言葉でもあるから。人間の心を見るとき、どんな時でもバランスを見る。そしてプロセスとして捉える。決して固定してはならない。周囲の良くなった、と言う安易な解釈が本人を再び追い込むケースも沢山ある。

 

治すこと、成功することで、逃げている人もいる。

つまり現実を直視しないために、治そうとか成功しようとか、違うことに目を向ける人もいる。

 

ただそれらの問題はまた別の話なので、今は本題の方を語ろう。

 

とても嬉しいことに、心の傷、それもかなり深く負ってしまった傷から回復してきた作家がいる。彼とはもう20年近く関わってきた。数名のスタッフ達にとってもかなりの時間を共にしてきた作家だ。

作品も当然良くなった。表情も言葉も変わった。

素晴らしいことだ。ここまで回復するとは誰もが思わなかったことかも知れない。

身体面では逆に心配な部分も出て来てしまっているけれど。

 

人の心に限界はない。場に限界はない。どんな時でも何かは出来る。

 

実際のところ、一旦あそこまで行ってしまった場合ではここまで回復した例は初めて。でも、これは可能であると言う証拠でもある。

 

ここで言いたいのは、スタッフ含め、関わる人達が刻んできたことの意味だ。関わってきた人達が共にした時間の数々が彼の中で生きている。

 

僕らの仕事では多いことだが、力を尽くし、心を尽くして精一杯やっても、手応えが得られないことの方が多いだろう。帰って行く環境でまたズタズタになるのが分かっていても、やれる限りのことをする。どれだけ命を削ってやっているのか、ほとんどの人には見えない。意味を感じて貰えることは少ない。勿論、それを承知でやっている訳だけど。

だからそんな時間を共にしてくれた人達に、本当に深く感謝すると共に、全てが今も、意味と価値を持って一人の人間の中で生きている、と言う事実を伝えたい。と同時に今、目の前で向き合っている相手にも、きっと通じている、と言うことを自覚して欲しい。

反応はその場だけでは現れない。時間と共に刻まれて行くもの。良いものも悪いものも。

 

それは食事と同じ。食べ続けた結果は時間が経った後で出る。心の栄養をしっかりとって強くなった時、心の免疫力が発揮される。弾く力は生きる力。

 

今刻む時間を、命の流れで捉えること。そして確実な点を打つこと。それが僕らの仕事。

関わる立場にいる人達はどうか一過性のものに誤魔化さず、生命体の声を聴く訓練をして欲しい。

お金をばらまく、情報をばらまくだけの、派手な解決策を振り回す人達もいる。それがどんな結果を生むのか、良く見極めた上で判断して欲しい。

何が本当に必要なことなのか。答えはシンプルだ。地味かも知れない。でもそこにある充実は他に代え難いもの。本物はいつでも目立たない。

 

栄養剤のパワーは持続しませんよ。薬ばかりに頼っていては身体はボロボロになりますよ。

 

心の基礎体力をしっかりつけるためには、良い時間をたくさん刻む。心の底からの幸せを浴びることです。

そんな経験を一人一人にあげられるならば、命を削ることに何のためらいもありません。

そしてもう一つ。これはとても大切なこと。一人の人間をしっかり見て行くと分かること。全てが無駄では無いというシンプルなこと。全てが意味と価値を持つことだと言うこと。そのことに気がつくためにこそ生きている、とすら思える。

 

東京アトリエは今後もより一層の場を作品を、一人一人の笑顔を、そして響き合う時間を重ねて行きます。


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