大事にしたいこと
昨日も夕方から強い雨となり、
夏を運び去るような勢いだった。
母川回帰特別編に、これまでの沢山のことを込めて、やり切ったし、出し切ったので、しばしの空白。
自分の中に何も残っていないような時間だった。
制作の場の後でもこう言うことがあるけど、これがまた心地良い。本当に何も考えられない時間が。
夏はどんどん遠くへ行っていまう。
これまで不遇どころか、人が想像できないようなレベルで生きて居る人達や、ギリギリの状況で這いつくばっている人達と出会って、その人達が僕に託したのは助けて欲しいではなかった。最後のところでみんなが言ったのは、存在した意味を残して欲しい、何処かで、誰かに、何かに、伝え、刻み込んで欲しい、と言うものだった。
だからこそ、僕はここに立っている。
一人一人の素晴らしさ、凄さが見えて、本来の笑顔と出会えて、共有された時間が深ければ深いほど、外の世界で憤りを覚えた。悔しさも悲しさも、怒りも、どれほど味わって来たことか。大切なものを踏みにじって平気な人達は今でも沢山いる。
場で一番大事なのはセンスだと思っている。
センスとは愛情から生まれ、相手を思う気持ち、配慮する感覚によって磨かれる。愛情は道徳や理想ではない。愛情は注意力であり、観察力だから。
センスの無い言葉、センスの無い振る舞い、それこそが暴力の本質、虐待の本質だ。
場で一人一人と出会った時、それぞれが高い感度で響き合っている。対話は言葉では無く、言葉をも含むセンスによって行われる。
便利になれば便利になるほど、省略すればするほど、無礼な人間が増えて行く。
人と人の関係で大事にしなければならないことを忘れて行く。それどころか学んでいないから知らない。
礼儀を欠く人間が本当の繋がりや、人の有り難さや、お互いを大切にし合う喜びを知ることはない。
愛されることも、本物に認められることもない。
こんなに勿体ないことはないのに、大人は教えていない。もっと面白くなるはずなのに。もっと素晴らしい人に出会えるはずなのに。
もっと人を大切にしたい。もっとセンスを磨きたい。
東京都美術館から案内状が届いた。
9月はコートールド美術館展 魅惑の印象派。
楽しみな展覧会。スケジュール的に残念ながら開会式と内覧会には出られないけれど。
毎回、案内状の宛名は中原さんの手書き。
人柄が字に出ている。お忙しいところを。
本当に有り難いことだ。
酷い時代だけど、無礼、失礼を何とも思わない人達が増えて行くけれど、人を大切にしていきたいもの。