母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

障害者ビジネス

過激だけど、あえてこのタイトルにした。

試しにそのような言葉が存在するのか、ネットで検索してみたけれど、制度の悪徳な利用でお金儲けする、みたいなことくらいしか書かれてはいない。

で、僕がここで書きたいのはそう言うのとも、少しニュアンスが違う。

 

でも、障害者ビジネスと言う世界は存在している。

 

僕は福祉を全く否定しない。

社会的に必要なものと思っている。

でも僕が関わる仕事は福祉ではない。

福祉と言うアプローチは今後もとらない。

これまでこのスタイルでしか開拓出来ない領域に挑んできた。

 

障害を持つ人達と関わり始めたのは16才の頃。それから25年が経つ。

大きく言って、最初の10年は現場にひたすら集中する事が出来た。その経験が今でも活きている。もちろん、今でも現場に立つが、仕事の半分以上が他のことになっている。

 

社会的に様々な形で、障害を持つ人達と関わっている人達と出会い、時に議論してきた。

正面から言うなら、このジャンル、この人達、ダメだな、ともう結論に至った。

そう言う人達も居て良い、そう言うジャンルがあっても良い。でも僕は違う道を行く。

 

10年近く前に、美術館関係の方だが、その世界ではかなり有名で、こう言う言い方が適切か分からないが権力もある方と、席を共にすることがあった。仲良くはなったが、話は全くかみ合わず平行線だった。

その方は僕の仕事は認め、評価してくれたが、出て来る言葉は「なるほど、それはビジネスですね。」と言うのばかり。

あまりに薄っぺらい方だった。

 

これも言うまでもないことだけど、ビジネスを否定する気は全く無い。それどころかビジネスに対して敬意を持っている。

しかし、僕の関わっている領域がビジネスであろうはずがない。もし、そうなら、即刻止めた方が良い。

 

例えお金儲けで無くとも、障害とか、マイノリティとかを盾にした主張の裏に、関わる人達の自己顕示欲とか、汚いものが色々入っているのを見ると、こう言うことに関わる人達のズルさや、欲や、センスの無さが、健常者と障害者の間の溝をより深めてしまっているのが分かる。

 

こう言う人のふんどしで相撲をとる人達に、つくづくうんざりしてしまった。

 

むかし、これは音楽関連の業界に居る方と、これも全く違う場所で出会って、話し合ったことがある。最初はお互いの仕事すら知らずに話していたのだけど、いつの間にか意気投合した。話の終わり頃に、彼は言った。自分の息子が障害を持っている、と。そして、長い間、アートに関わって生きて来た彼は、障害者アートや、あざといまでに紋切り型のイメージを当てはめた商品化、販売に関して、厳しく批判した。当事者が社会や経済活動に参画するのは、当然価値あることだが、そこに関わっている健常者の不自然な感情や振る舞いに、強い違和感があると。

有り難いことに、僕の仕事にはそのような違和感は感じなかった、と。

 

彼が言った、忘れられない言葉がある。

「彼らは障害者を食い物にしている。」

 

僕がここで言う障害者ビジネスとは、お金儲けの事では無い。障害を持つ人達を隠れ蓑に使って、満たされない欲求、その多くは自己顕示欲だが、それを満たすために、人を利用している人達。障害を持つ人達を食い物にしている人たちがいる。それを僕は障害者ビジネスと呼ぶ。

 

だから僕は違う道を歩く。

一般の人達が自然な感情で、楽しいな、面白そうだな、と言う入口から、認識の世界の多様性や、人間の心の持つ神秘や、人間の可能性と出会って貰うために。