母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

プロ意識

素人でいることの大事さがある。

素人だから見えることもある。

 

けれど、今の世の中、あまりにも素人仕事だらけで、そして、素人の意見が通ってしまう。それは危険なことだ。

 

なぜプロフェッショナルが必要かと言ったら、専門的な知識や経験がないと、責任が取れないような場面があるからだ。

素人が扱ったら危険なものって沢山あるから。それは例を出すまでも無いこと。ちょっと想像してみただけでも分かること。

 

それにしても、何のジャンルも本当にプロフェッショナルと呼べる人が居なくなった。

残念なことに、これまで経験していない人達は素人の仕事の方が分かりやすかったり、手軽だったりで、そちらの方が需要があるから、ますます素人だかプロだか分からなくなっていく。

 

人の心や身体に触れる仕事って、最も素人がまかり通るし、更には素人の考えや意見が通りがちになる。

人と人が直に向き合う、関係性の中での仕事って、やはりプロフェッショナルでなければ出来ないもの。

 

僕自身も大きく分けてそんな領域で働いてきたけど、外で見たり、出会ったり、自分が少なからず教えた人も含めて、一流はほぼ居ない。技術面でも精神面でも。

 

これは見たらすぐ分かる。

下手くそだなあー、って。

そこからじゃないんだけどな、って。

間合い、テンポ、リズム、強弱、タイミング、これが全て関係してくらから。

ちょっとでもズレたら、外したら、全体に響く。自分は何を提供すべき人間なのか自覚して、責任持って、プロ意識持たないと、向上して行かないよ。

 

やっぱりですね、努力しなくて良いとか、頑張らなくて良い、みたいな言葉が横行するけど、頑張ってる人、一生懸命やっている人にしか充実感も幸せもない。答えはシンプルです。どんなに世の中が変わろうと、僕は2つのことが、自分にも他人にも基準となる。

人生においてプレイヤーであるかどうか。

仕事においてプロフェッショナルであるかどうか。

 

屁理屈ばかりで何も出来ない人の意見を聞き過ぎだと思う。

 

先日、かつて働いていた組織の仲間たちと会って、楽しい時間を過ごした。

今の在り方はどうか、何をやって行くべきか、どうあるべきか、色々と意見が出た。

そんな中で意見を求められたので、曖昧なところ、責任感が薄いところを、少し厳しく指摘した。他にも近い見解の人もいて、手厳しい話にもなった。

 

そんな中で、社会的にもしっかり活躍されている方で、外部から関心を持って関わって下さっている方からの言葉があった。

色々と問題はあるし、難しいところ、至らないところはあるけど、そんな中でも、ただ一緒に居ること、居るだけで感じ取れることがあって、ああ、そうかみんな一緒にいて、これで良いのだなぁ、と思える、そこが大事なのではないか、と。

 

確信を着いているのはこの方だけかな、と思った。全くその通りだ。だからこそ、次の話を僕はした。

来て下さるお客さんはそれで良い。それだけで充分。でも、受け入れる側は、スタッフは、なぜお客さんがそう感じてくれるのか、知っていて、来た人達がいつでもそう感じてくれる場所を自覚的に、日々創らなければならない。そうしなけらば、それは偶然に過ぎなくなるし、今でももうそんな風に感じてくれる人達は少なくなっている。

 

これは以前にも書いたことがある。

見た人が、ああ良いなぁ、と、みんな一緒だなぁ、みんな素敵だなぁ、これで良いのだな、とそう感じてくれるには、その場を創るプロフェッショナルな仕組みがあるのだ。

この自覚が無ければ、技術がなければ、そんなものは直ぐに消えて行くだろう。

 

場を良くする、とは一人一人の笑顔を増やすこと、そこにいる人達が幸せになること。

いつでもそれだけが答えだ。