母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

×ない(掛けない)福祉

さて、今度じっくりとお話していきますので、ここでは本題には触れません。

 

それにしても人生は不思議なものです。

まさか、福祉をテーマに取り上げることになるとは。お断りしていた時期もありました。

そんな中で思うところもあり、ある場所での講演をお受けしました。結果として、今回の世の中の流れで企画は中止されました。

しかし、このテーマを与えられていたことによって、ここ暫く集中して考える事になりました。大きな気づきもありました。

 

福祉と言う言葉から、出来るだけ遠い場所にいたいと、行きたいと、思ってきました。そうすることでしか、本当のものに近づけない、と。その間、この世界も危機に加速が懸かって行きました。

 

福祉的とか、福祉臭いこと、と本来の福祉とはまるで関係がないものなのかも知れない。

そう思い始めたのはずっと前のことです。

では福祉の本質とはなにか。

これを今こそ、語るべきなのではないか、と考えています。ここでもまた、僕が取り上げてきた沢山のテーマと同じ事を言わなければならない。本当のことは語られていない。

見落とされている、と。

 

このままで良いのか、考えたとき、僕には責任がある、と感じています。

 

今、福祉の本質が語られなければならない。

それは人類にとって、人間にとって、誰にとっても重大で本質的なテーマなのです。

 

社会的な流れは、福祉の持つ狭さ、古さ、からの打開策が求められ続けています。

この10年は特に、福祉を新しくしよう、と言う様々な取り組みに注目が集まって来ました。

新しいこと、変わったこと、違う角度からのアプローチ。

僕はそんな流れに共感は出来なかったけれど、ある一定の効果は認めるし、必要性も感じる。それでも、今だからこそ、大胆な言い方をします。それらは福祉の本質に全く触れていません。そこでは行われも、語られもせず、それどころか、かえって見えなくなってしまう領域。そこにこそ、実は福祉の核心がある。何故、そうなのか。それはトークとしてじっくり語ります。

 

この10年は福祉×(掛ける)何々の時代だった。何々×(掛ける)福祉、でも良い。アート×福祉だったり、ビジネス×福祉だったり、デザイン×、まちづくり×、、とにかく色んな×(掛ける)が行われて来た。この×(掛ける)には功罪ともに大きいと実感している。

繰り返すが、確かに良い効果もあっただろう。今もそう言った工夫によって打開されている部分もあるだろう。しかし、少なくともそれは福祉の本質ではない。何故そうなのか。本編で明らかにします。

 

そこで語らなければならないのは、×ない(掛けない)福祉の話です。

×ない福祉とは何か。×ない福祉の時代が来るのか。

 

人間と言う存在、人類と言う集団が存在する限り、福祉と言う領域は必須と言うか、人類と福祉はセットだと考える。

いや、生命体と福祉は一体のものと言っても良い。

福祉と言う領域には何があるのか、何がその本質なのか、ゆっくり紐解きます。

 

これまでしっかり語られていないことです。

見落とされていることです。

そんなテーマを語ってみようかと考えています。


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