母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

3冊目


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7日間のブックカバーチャレンジリレー。

3冊目はこれにします。

あれこれと考えるとどうしてもここに収めきれない本が多い。若い頃に何度も手紙をやり取りさせて頂いた哲学者の池田晶子さんの本や、東京アトリエの現場を見て頂き、その後、著作にも書いて頂いた高橋源一郎さんの本等は今回は取り上げないこととする。

 

さて、この本は

僕らが親方と呼んだ、宮嶋真一郎唯一の著作。残念ながらここに親方の真骨頂があるか、と言えば僕にはそうは思えない。

生前、親方自身も、もしわしが書くならもっと違う内容で書いた、と言っていたことも思い出す。それもそう言ったのは1度ではなかったと思う。

 

知識も経験も豊富な人だったが、なによりも好奇心と洞察力に、僕は感銘を受けた。

もし親方本人が書いたとしても、あの話を聞き出せば無尽蔵に出て来た面白さは、到底1冊の本には収まり切れなかっただろう。

 

親方は僕の師匠と呼んで良い存在だった。

ただ仕事の師ではない。仕事において僕には師は居なかった。それだけは改めて書いておきたい。親方はでも人生の師と呼んで間違いないし、恩師であることは確実。

 

親方の実践は今でも正当に位置づけられてはいない。パイオニアだし、未来を予見していた部分も沢山ある。僕が出会った頃の共働学舎は他の何処にもない希有な場所だったし、今でもあんな実践は誰もやっていないと思う。凄い人だったな、と思い出す瞬間がある。長く先生をしていた人なので、教育の要素は強かったけれど、決してそれだけで括れる訳では無い。福祉と言う枠でも捉え切れないと思っている。あれは一つの新しいジャンルだったと言える。強いて言うなら、生活を通じて実践によって追求された人間学

 

しかし、この世に残ったものはほとんど無かった。親方の死と共に、沢山の未知の、未開拓の領域とそこへの認識の多くが、最早この世から消え去ってしまった。経験してきた人間が記憶の中から蘇らせることは、部分的には可能だと思っている。やらなければとも思う。

 

親方から多くのことを学んだ。

立場も見解も違う部分もある。師ではあるけれど、今でも親方の全てを良しとはしない。

けれど、今の時代こそ宮嶋真一郎の真骨頂が見出されるに相応しい時ではないかと、この世界を見ながら感じている。

 

僕のトーク企画、母川回帰シリーズ第11回を、先月、4月27日に予定していた。偶然にも親方の命日だった。そこである部分については宮嶋真一郎の思想を語る予定だった。その回は中止となった。また改めて語ることになるだろう。語られるべきこと、見直すべきことはまだまだある。手つかずの領域がまだ残されている。