自己防衛が心を蝕む
良いニュースがない。
職を失う人達、
食べることも出来なくなる人達、日に日に悪化して行くこの状況。
そして、最も恐れていたことが進行してきている。人間の心が渇き、枯れてきている。
この日本では貧しさを経験せずに、生きてきた多くの人達がいる。
貧しさの本当の恐ろしさを知らない。
危機や貧しさで1番恐いのは、自分を守るために、人を思いやれなくなることだ。
食べるものが無いことより、人から微笑が消えることが、どれほど怖いことか、僕は経験してきている。
ディスタンスと言うことを書いた。
自助の時代に入ったのだと思う。
まず、自分と言う考えが当たり前になって行く。自己防衛はディスタンスを生む。
危機を前に、それなら自分の身を守ろう、自分と家族だけ、何とかなるなら、と当然みんな考える。これは本能的な発想でもある。
備蓄しよう、備えよう、これからは自給自足だ、と言う考えが増えてくる。
これは寂しいこと、悲しいことだ。
繋がることによって、手を差し伸べることによって、思い合うことによって、人間は人間なのに。
自己防衛は人との間に、世界との間に断絶を生む。今ディスタンスが進行している。
真に勇気ある者は挑戦する。
決して諦めることはない。
人と世界に向かうことをやめない。
繋がることをやめない。
危機の中にあってなお、貧しさの中にあってなお、人を、世界をまず思う。
世界への信頼を失ってはならない。
人間への希望を捨ててはならない。
命綱はこれなのだから。
最後のものを失ったら、例え物理的に自分だけが生き残ったとしても、それは本当の喜びからはかけ離れたものになるだろう。
自己防衛は人だけではなく、自らをも孤独と不信に貶める。心は渇き、枯れていく。
今本当に必要なのは、こんな時にあっても、人に笑いかけること、みんなを想うこと。
大切なものは何なのか、思い出そう。
今だからこそ、人間の可能性が証明されるのだと感じている。
信州での日々を思い出す。
今日終わらせなければならない労働があっても、泣き叫ぶ人がいたなら、全てストップして、そして師が言ったものだ。
佐久間くん、行って一緒にいてあげてくれ。
その後どうなったとしても、一人の人間を置き去りには出来ない、と。
現実的ではないだろう。
合理的ではないだろう。
完全には誰だって出来はしない。
それでも、少しでも挑戦していくことではないだろうか。人間として生まれてきたのだから。そして、今ならはっきりと言うことが出来る、そこにこそ、人間の真の豊かさがあるのだと。