母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

自己防衛が心を蝕む

良いニュースがない。

職を失う人達、

食べることも出来なくなる人達、日に日に悪化して行くこの状況。

 

そして、最も恐れていたことが進行してきている。人間の心が渇き、枯れてきている。

 

この日本では貧しさを経験せずに、生きてきた多くの人達がいる。

貧しさの本当の恐ろしさを知らない。

 

危機や貧しさで1番恐いのは、自分を守るために、人を思いやれなくなることだ。

食べるものが無いことより、人から微笑が消えることが、どれほど怖いことか、僕は経験してきている。

 

ディスタンスと言うことを書いた。

自助の時代に入ったのだと思う。

まず、自分と言う考えが当たり前になって行く。自己防衛はディスタンスを生む。

 

危機を前に、それなら自分の身を守ろう、自分と家族だけ、何とかなるなら、と当然みんな考える。これは本能的な発想でもある。

備蓄しよう、備えよう、これからは自給自足だ、と言う考えが増えてくる。

 

これは寂しいこと、悲しいことだ。

 

繋がることによって、手を差し伸べることによって、思い合うことによって、人間は人間なのに。

 

自己防衛は人との間に、世界との間に断絶を生む。今ディスタンスが進行している。

 

真に勇気ある者は挑戦する。

決して諦めることはない。

人と世界に向かうことをやめない。

繋がることをやめない。

 

危機の中にあってなお、貧しさの中にあってなお、人を、世界をまず思う。

 

世界への信頼を失ってはならない。

人間への希望を捨ててはならない。

 

命綱はこれなのだから。

最後のものを失ったら、例え物理的に自分だけが生き残ったとしても、それは本当の喜びからはかけ離れたものになるだろう。

 

自己防衛は人だけではなく、自らをも孤独と不信に貶める。心は渇き、枯れていく。

 

今本当に必要なのは、こんな時にあっても、人に笑いかけること、みんなを想うこと。

 

大切なものは何なのか、思い出そう。

 

今だからこそ、人間の可能性が証明されるのだと感じている。

 

信州での日々を思い出す。

今日終わらせなければならない労働があっても、泣き叫ぶ人がいたなら、全てストップして、そして師が言ったものだ。

佐久間くん、行って一緒にいてあげてくれ。

その後どうなったとしても、一人の人間を置き去りには出来ない、と。

 

現実的ではないだろう。

合理的ではないだろう。

完全には誰だって出来はしない。

 

それでも、少しでも挑戦していくことではないだろうか。人間として生まれてきたのだから。そして、今ならはっきりと言うことが出来る、そこにこそ、人間の真の豊かさがあるのだと。