命の記憶
今日は世の中から遠い話題で書きましょう。
しかも多くの人にはチンプンカンプンな話を。更にいつも以上に詳しい説明無しで。
いや、たまにはこう言うのも必要かと。
それでも、これも最近籠もって、内省を深めてきたことによって得たビジョンでもあります。
ここでも何度も語ってきた、僕のトーク企画、母川回帰シリーズ。的は一つですが、本当に様々な角度から語って来ました。
これからもそうしていきます。
これ、その場にある生の感覚から、心の深くへと掘り進めて行く、と言うやり方でやっているので、テーマは予め決めない。
でも、休止期間中にやらなければならないテーマが幾つか出てきた。
一つは「×ない(掛けない)福祉論」
もう一つは「肯定する力 リターンズ」。
それとディスタンスの問題や、振る舞い、動きも今こそテーマにしてみたい。
そして、今何度も浮かんでくる景色をテーマとしたいな、と。
タイトル的な感じで言うなら「失われた時を求めて」。命の記憶を語りたい。
これは場の精髄であり、人生の凝縮された一点であるとも言える。
一人一人の心の奥深くへ潜って行く。
それが場の役目だとして、潜った先で何にタッチしなければならないのか。
何処に触れたら、その人が生きて、活きてくるのか。それは生命スイッチのようなものだ、と言ったことがある。
別の角度から言うなら、命の記憶に触れること、その時、その人が、その固有の生命が動き出す。
人は自らの心の奥底で、全ての源泉たる一点に触れる。そこで、生まれて来たことの、生きてきたことの意味を知る。
この世の全てをが凝縮された光景。
場に立って、人がその光景を前にする瞬間を見てきた。共有してきた。そこへ行くためのプロセスを創ってきた。
生まれてきて良かった、と思える場面に、ある意味でもう死んだって良いと思えるような景色。
その景色を一緒に見たいし、見て行くことが場の役割だと考えている。
僕の人生において、そして仕事での動きにおいてピークは18、9くらいだったと思う。
その後、もう1度訪れた山があって、その時期に見えた景色は圧倒的で、この人生に与えられた贈り物のようだった。
それが2013年、2014年くらいだろうか。
その頃のブログでも、それ以降の中でも、何度も何度も僕は走馬灯について語っている。
無数の生を同時に生きることを。
無数の場が交差していく情景を。
あらゆる瞬間が既に体験されたものとして見えてくる、デジャヴのような経験を。
夢や幻の中を舞うように生きることを。
終わりから始めることを。
その頃は、長い長い旅からようやく帰ってきて、場から少し離れて、初めてそれらが何を意味していたのかを鮮やかに見ていた。
これまで見てきた全ての場が、今ここにあるようにまざまざと見、生きていた。
無数の場と、無数の生を同時に生きながら、その頃は部屋にあるビデオを見たり、音楽を聴いたりして重ねていた。
タルコフスキーの映画であったり、友枝喜久夫の舞いであったり、ピグミーのポリフォニーであったり、ショーヴェ洞窟の壁画の映像であったり、それらが場と全く同じ質を表していたことを、改めて経験していた。
ここ数日間、部屋に籠もっていて、それらを再び見直すことはなかった。むしろ殆ど何も見ない、何も聴かないで過ごした。
しかし、それらの表していた情景が、あの頃のように、いや、それ以上に鮮やかに、見えていた、僕はその景色を生きていた。
場での動きの究極は、夢の中にいるように動くこと、だと言える。そして、そんな感覚で僕は居ない現場に立って動いていた。
無数の生が、無数の瞬間が、同時に折り重なり、交差していく。全てはここにある。
エミリーウングアレーの描く景色も浮かんでくる。
そう言った全てがここにある。
走馬燈のように。
松尾芭蕉の辞世の句と言われる、
「旅に病んで夢は枯れ野を駆け巡る」
と言うのもこの情景を言っているはずだ。
これの解釈では沢山の旅を、探求を続けてきた芭蕉がもはや旅出来ないことを悔やんでいる、とする説や、もう一度旅立つと言う執念をみせている、と言う説もあるが、両方とも違うと思う。これは芭蕉の最後の境地であり、全てを見渡す地点に、彼が立ったと言うことだと考える。幾つもの旅の景色が、同時に交差していく、走馬燈のように。
その情景が芭蕉には見えていた。
なぜ、人にはそのような景色が見えるのか。
それが僕の一つのテーマだった。
それがあらゆる芸術や宗教の示している究極のものでもある。
おそらく、それは生命の奥深くに刻まれた記憶によっている。
僕達は思い出すために、想起するために生きているのかもしれない。
題材は何でも良い。僕に起きたことを、辿り深める中で、命の記憶に触れるような、そんなトークは出来ないだろうか。
母川回帰シリーズにピッタリなテーマだ。
いずれ実現させて、みんなと共有出来たら本当に幸せだ。