母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

5冊目


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7日間のブックカバーチャレンジリレー。

5日目です。早いですね。

 

この本は父の愛読書だったと、ある時に聞かされた。初めて父との共通点を見出せた気がした。

 

何処かでちょっとだけ触れたけれど、僕の父は鍼灸師だった。腕はとても良かった。

神懸かっていた時期もあったようだ。

使い捨ての鍼は使わない。筒は使わない。職人が手作りした鍼を必ず出向いて買ってくる。患者とは会話しない。問診は無し。背中を見れば症状が分かったと言う。

人格も生活も破綻してはいたけれど、治療を通しては多くの人を救ったようだ。

 

子供の頃、父と過ごした時間はほとんどない。早くに離婚して僕らは母と暮らした。その母も当時は夜の仕事だったため、昼間は寝ているし、夜は居ないから、僕にとっては居ないも同然だった。

 

父と暮らさなかったのは幸いだったかも知れない。父と僕とでは恐らく、価値観の全てが正反対だっただろう。地位と権威を良しとし、価値基準が全て上か下かだった父が、僕の選んだような生き方を決して認めなかっただろうことは、想像に難くない。

父が価値としたものの殆どが、僕にとっては下らないどうでも良いものであり、逆もまたそうであっただろう。

 

目が殆ど見えなかった父が、鍼に賭け、腕を磨き、仕事にプライドを持って生きたことは、立派なところでもあった。多分。

 

大人になって、僅かな時間だけど父と会うことがある。せっかちな人なのでいつも直ぐにじゃあな、と別れるけれど、昔は口癖が「人生は競争だ。負けるな。」だった。久しぶりにそれと同じ言葉を聞いた時、最後に「俺は競争に負けたけどな」と言った。

この人は本当の豊かさをまるで知らない、とは思う。

でも、潔さこそ、大切なのではないか。

「いき」とまでは感じないけれど、そんな生き方に憧れは持っていたのだろう。

 

僕は幼児の頃から父に鍼を打たれていたそうだ。身体は何かを記憶しているのかも知れない。