母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

息子に話したこと


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数日前に書きっぱなしだった記事を上げます。今日は家族で小さな山登りでした。

今後ますます、オンラインやデジタル化が進んで行くこの社会で、子供達をどう育てて行くべきなのか、少し書きました。

デジタル化に抵抗しようとも思わないし、そんなことは出来ません。ただ、大人になる前にやっておくべきことは、どんな時代になっても変わらないはずです。そんなに長くはない、貴重なこの時期くらいは五感を使って肌で感じた記憶を残して欲しい。

 

ものの本には色んなことが書いてあり、沢山の専門家がいて、そして、人によって本当に色んな考えがあって、色んなこと言うひとがいて、それでも子育てには正解はない。

失敗も成功もない、と思う。

 

子供を見るプロでも、自分の子供に良く出来るかは別の問題。

 

僕も沢山の子供達と10代の頃から付き合っていた。子供をみることや、子供の気持ちを理解することや、子供を喜ばせ、自信を持たせることは得意だった。

でも、自分に子供が生まれて、親子の関係はどうかと言ったら、それほど良くも悪くもない、多分普通くらいだろう。

でも、たった一つの家族のかけがえの無い時間が、やはりそこでしか見えて来ないことがあるのだと、いつも気づかせてくれる。

 

息子は小学校に入ってから、1年の時も2年の時も、毎年この春の始まりの時期に何かしら問題があり、担任の先生とお話することがあった。3年生のコロナのこの時期もやっぱり。悠太はでも、いつも先生には恵まれているな、と思う。環境にも恵まれているし。

 

悠太を見ていると、人間の長所と短所はコインの表と裏みたいなものだとつくづく思う。

他に代え難い素晴らしさが、難しさでもある。いつも両極端な想いに、激しく揺れている姿が愛おしくもある。

 

日中に色々あった日の夜、お風呂に入りながら二人で話したことが思い出される。

息子は急に素直になって、うん、うん、と頷きながら、真剣に聞いてくれた。

 

これは子育てとか、教育観ではなくて、僕が人間としてただ息子に伝えたかったこと。

他の考え方だって沢山あるし、それぞれが間違いではないと思っている。悠太自身も違う考えを持つようになるかも知れない。

 

ゲーム機が欲しい、なぜ買ってくれないのか、そこからこの話が始まった。

 

僕が話したのはこう言うこと。

それはいつでも出来ることだから。

ゲーム機が無くて、楽しめるようになったらゲーム機を持って楽しむことだって出来る。でも逆は出来ない。不便と便利もそう。不便を生きられたら、楽しめたら、便利を楽しめる。でも、便利だけでいたら、不便では生きられない。苦労も貧乏も楽しめたら、どんな状況でも生きられる。お金は便利だ。それで済んでしまうことが沢山ある。だから本当に無かったら考えるし、工夫する。

無い世界を知っていれば、ある物を使うことも出来る。ある世界しか知らなければ、ある物さえ充分に活かすことは出来ない。

 

ある世界は後で生まれたもの。無い世界の方が最初にあったもの。後のものより先のものの方が元な訳だから。子供の頃にやらなければならないことは、元をしっかり作って行くこと。ゲームは現実じゃない。現実じゃないもので遊んでも良いけど、現実を経験した上でないと。元があってその後にものがある。

子供の頃の時間が何故大事かと言ったら、それは今しかないから。子供から大人にはなれるけど、大人から子供にはなれない。だから、子供の方が元になる。

 

先にリアルがあって、その後にバーチャルが出来る。リアルを知っていればバーチャルをどう使うかも分かるけど、バーチャルからリアルの扱い方は学べない。今の世の中は無責任な大人が子供をバーチャル漬けにする。それは取り返しのつかないこと。

バーチャルで人が繋がれるか、と言ったらリアルでの繋がりを知っていれば、それも可能だろうとは思う。でも、頭だけで人は繋がらない。脳だけでは。首から上の話ばかりで人の心が響き合うことはない。

 

元を知ること。苦労してみること、工夫してみること、無いことから生まれる場面を見ていくこと。それが人間を育てる。後からいくらでも出来ることを、1度しかない子供の時間にすることはない。世界と接し始めた最初の頃だからこそ出来ること。それはこの世界のリアルを五感で経験すること。喜びや気持ち良さや、痛みや悲しみを経験すること。

人から愛情を貰うこと。仲間との友情を知ること。綺麗な景色をみること。人や場所に触れること。充実感や退屈を全身で経験すること。暑さや寒さを身に染みて経験すること。

 

いつでもゼロから始められる力をつけるために。どんな環境でも楽しみ、人を喜ばせることが出来る人間になるために。幸せになるために。全ては元を創ることにかかっている。

 

元をしっかり創ったら、いつでも何だって出来るのだから。自分の頭で考えて、自分の直感で判断して、いくらでもやりたいようにやったらいい。

 

今、悠太は8才、舞果は4才。8才の景色。4才の景色。その世界を全力で生きること。それが後で宝物になる。

 

そんな話に、悠太は頷いていた。

来年は、再来年は、数年後はもうゲーム機のある日常かも知れない。何処まで引っ張れるのか分からない。出来るだけこの時間を引き伸ばすことが、僕には大事なことに思える。

 

過ぎ去った時間は取り戻すことが出来ないから。そんな子供達との時間を、僕らが見ていられるのも今しかない。

 

あんまり上手く書けたとは思わないけど、最後に最近色々目にするから。もし僕が今、SNS上で誹謗中傷を受けたとしたら、どうするか。一言だけ。そんなものは何とも思わない。画面を閉じて、止めてしまえば良い。何故ならそれは現実の世界ではない、と知っているから。リアルと言うものを経験しているから、バーチャルは道具として使っても、それがリアルに変わることはない。

そもそもSNSなどつい最近まで無かったものだし、誰がどんなことを言ったとしても、少なくとも僕にとっては明日無くなっても全く困らないものだから。

 

リアルの世界が、どれほど奥深く、豊かであるのか。人間の可能性の素晴らしさや、人を笑顔にさせる楽しさ、人と人が響き合う、そんな景色を沢山見てきたから。

だから僕は心の底から、生まれて来て良かったと思う。それが幸せと言うもの。全ての子供達に幸せになって欲しい。