母川回帰

ダウン症の人たちのためのプライベートアトリエ、元アトリエ・エレマン・プレザン東京代表、佐久間寛厚のブログです。日々の制作の場で人間の心と創造性の源を見つめています。

それぞれの気持ちを

色々言って来ました。

書いて来ました。

 

でも、今1番必要なことは、一人一人それぞれの気持ちを否定しないこと、もっと言ったら認めることです。

 

考えは議論出来ます。否定も出来ます。

でも気持ちは否定出来ません。

 

こう言う時に色んな意見、考え、見解、立場で人はどうしても争ってしまいます。

考えは違えば対立するしかなくなります。

そして、いつの間にか、誰かを非難する言葉が増えて行きます。

 

だからこそ、今見て行かなければならないのは、考えではなくて、気持ちの方です。

どうやってそう考えるようになったか、その気持ちを見て行くと、誰のことも否定は出来ないです。

 

現実的な処置を早くとらなければならない時、どうしても置き去りにされるのは、それぞれの気持ちです。

 

物事を動かして行くためには、決断は早くなければならないのは当然です。

 

そこで、残されている気持ち、それぞれがでも、そう思った、感じたこと、が否定されないで、認められて行くことが、何より大事なことです。

 

ここでも過度に心配しない、恐がらない、と言うことの大切さを書いて来ましたが、だからと言って、どうしても心配だったり、恐かったりする、その気持ちは否定してはいけない、と思っています。

 

客観的事実がどこにあるのか。何が正解なのか、それは誰にも分からないことです。

 

しかし、人は客観的事実よりも、確かに目の前にあるものをもしっかり見て行く必要があります。人の気持ちと言うものを。

 

現実的には色々な決断はして行くにしても、ここにあるそれぞれの気持ちに目を向けましょう。認めましょう。

 

誰も孤立しないように。一人にならないように。

 

危機の中で対立や分断が増えて行くのか、助け合う気持ち、認め合える豊かさに向かうのか、ここが別れ目です。

 

僕らは場に立った時、一人の人間の中で、良い思いだけではなく、悪い思いや、マイナスの感情も否定しません。まず認め、共感してからでなければ次のものも見えてきません。

それ以前に一人の中にあるどんな思いだって、良いも悪いも、否定出来るものは一つも無いのです。

 

立派な看護師の方とお話したことがあります。忘れられない言葉がありました。

痛いと言っている患者さんをあやす時、痛くないよ、と言うことは絶対に言ってはいけないのだと。患者さんが痛みを感じている以上は、その痛みを認めること、否定しないことが大事で、だから、痛くない痛くない、ではなく、痛いね痛いね、なのだと。

 

客観的事実は確かに大事だ。

でも少なくともそれと同じくらいに、人の気持ちもまた、ここに確かにあるものなのだから。

 

迷信だって、思い込みだって、そんなに簡単に否定出来るものではない、と思っている。

 

ウイルス感染を防ぐためのソーシャルディスタンスは、物理的な距離であって、心と心にまで距離が生まれてしまわないように。

身体に触れ合わないと言うことは、哺乳類としての人類には、今思われている以上に大きなことなのだから。

 

認め合うと言うことは、言葉で言われるほど簡単なことではない。むしろとても難しいと思って良い。でも、だからこそ、今こそ、挑戦を始める価値があることではないだろうか。人はそれによって本当に多くのものを得ることになるだろう。

 

まず、たった一人の目の前の人から全ては始まる。